■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙4章5節 (ヨブ記34章)
★ 「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」
■O:今日のコラム
この箇所の「主は近いのです」という言葉は、詳訳聖書には次のように記されています。
「主は近づいておられます。<主はすぐにおいでになります>。」
欄外注による コリント人への手紙 第一 16章22節には、「マラナタ」とあります。
これは、みなさんもよく知っているように 「主よ。来て下さい。」 という意味でもあり、また 「われらの主はこられる」 という意味でもあります。
当時、迫害の苦しみに遭う時に、信徒たちは 「屈せずに目を覚ましていよう。もうすぐ主が来られるのだから。」 と互いに激励するかのように、この 「マラナタ」 という言葉をかけ合っていたそうです。
わたしたちは、愛する花婿が来られるのが、いつかは知りません。明日かも知れないし、何年も先かも知れないし…
それがいつであったとしても、最高の状態で花婿主イエスとの結婚式を迎えたいです。
暴飲暴食続き、髪の毛も何年もクシでとかしたこともなく、何ヶ月もお風呂に入っていない時に 「花婿が迎えに来ました。今日、あなたの結婚式ですよ」 と言われたら、ショックです。
私は、数日前に夢で、まったく練習が出来ていないのに、演奏会当日を迎え、控室で冷や汗をかく、というものを見ました。何事も準備が出来ていないことは、取り返しがつきません。
当時の信徒たちは、まさに 「明日、嫁入りしてもいい」 という状態で、信仰、喜びと期待を持ち、主の御前にきよく自分たちを保つことを心がけ、励まし合っていました。
この箇所の引照には、ヤコブへの手紙5章8-9節があり、こう書かれています。
「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。」
初臨のイエス様は救い主として来られましたが、再臨の時に主は裁き主として来られることを信徒たちは知っていました。それも真実です。
私たちには二通りの待ち方が、二つの選択肢があります。
裁き主として来られる方を、「主は恐ろしい、ひどいお方だ」 と思う 「一タラントを渡されたしもべ」 の心で待つか(マタイによる福音書25章14-30節)、もしくは、花婿が来るのを待ち焦がれる、雅歌の乙女のような 「花嫁」 の心で待つかの二通りです。前者には恐れが伴い、後者には喜びが伴います。
主イエス様が来られるまで、あと一日だったとしても、たとえあと何十年先だったとしても、私たちは 「主は恐ろしい方だから、裁かれないようにしよう」 という 「一タラントのしもべ」のように歩むのではなく、「愛する方に早く会いたい! あの方のために自分をきよく保ちたい」 という花嫁の心で歩みたいです。
その花嫁の心をもつのには、どうしても聖霊様の助けが必要です。
御霊に導かれて祈ること、御言葉を読み、御霊によって真理を悟ること、御霊に満たされて賛美することは、主との親しい関係、そして花嫁の心を育ててくれます。
毎日の歩みの中に聖霊様を歓迎し、主の臨在の中にとどまること、主との親しい交わりを第一としていきましょう。そこには日に日に増し加わる、この上ない喜びが待ち受けています! ハレルヤ!
「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』 アーメン。主イエスよ、来てください。」 (ヨハネの黙示録22章20節)
■A:考えてみよう
主の再臨に対する自分の心は、「一タラントのしもべ」 だろうか? 「花嫁」 だろうか?
■P:祈り
主よ、あなたの裁きを恐れることのゆえに戒めを守る恐怖心ベースの信仰ではなく、本心からあなたが来られるのを待ちわびる花嫁の心、乙女の信仰で歩むことが出来ますように。
聖霊様、あなたを私の人生の一部分だけではなく、私の人生のすべての中に歓迎します。
わたしの内に満ちてください。主との揺るがない関係へと、温かい愛に満ちた関係の中へと私をさらに導いてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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