■S:今日の聖書の言葉

ヨブ38章全部(同37章)

★4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。

★16-17 あなたは海の源まで行ったことがあるのか。深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。死の門があなたに現れたことがあるのか。あなたは死の陰の門を見たことがあるのか。


★31-33 あなたはすばる座の鎖を結びつけることができるか。オリオン座の綱を解くことができるか。
あなたは十二宮をその時々にしたがって引き出すことができるか。牡牛座をその子の星とともに導くことができるか。あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか。….


■O:今日のコラム

長かったヨブ記も、いよいよクライマックスを迎えます。38章から、ついに、神様御自身が語られます。

なんと、力強い言葉でしょう! 何と威厳に満ちていることでしょう!

皆さん、私たちを救ってくださった、私たちの父、私たちの王となってくださった主は、天地を造り、支配しておられる、偉大な神様なのです。

ヨブ記の最初から、ヨブは「潔白で正し」い人だったと書いてあります(ヨブ記1章1節)。

でも、そのように、潔白で正しかったヨブも、自分の義のゆえに、神様と対等になれるわけではありませんでした。
私たちがどんなに、正しかったとしても、どんなに立派な行いをしていたとしても、どんなに親切で憐れみ深かったとしても、だからといって、それで神様の前に出られるわけではないのです。

イザヤ64章6節
「私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。」

聖書は、私たちの最善の義でさえ、神様の前では、不潔で汚い下着のようなものだと言っています。

ですから、私たちは神様の前に出る時に、ただ、イエス様の十字架の血潮を信じる信仰によって、小羊の血によって、イエス様の義によって、近づかなければなりません。

逆に言うと、どんな人でも、自分勝手な罪の道を悔い改め、へりくだって、主の助け、恵みを求めて、イエス様の十字架の血潮によって神様に近づくなら、神様が出会ってくださり、その愛と恵みを注いでくださるということです。(ただし! この恵みを侮ることは恐ろしいことです。いつでも赦されるから、罪を犯しても、また赦される、と恵みを悪用してはだめです!)

だれでもです!
3歳の子どもでも、立派な大学を卒業した人でも、おじいちゃんでも、中学生でも、主婦でも、実業家でも、社会で成功している人でも、人生に挫折した人でも、引退した人でも、だれでも!

これが、福音です。

そうして、神様の前に出続け、その臨在に触れ続ける中で、私たちは、神様を愛するもの、人を愛するものへと造り変えられるのです。

■A:考えてみよう

今日、自分の罪、弱さ、足りないところ、悪い行いを、悩んだり、自分で自分を責めたりしないで、主が必要であることを認めて、主のもとに行こう。自分の道を悔い改めて、神の義である主イエスの十字架の血潮を信じて、神に近づこう。

そして、神様の愛を注いでいただいて、正しい行いができるものへと変えていただこう。

■P:祈り

ただ恵みによって、神の子とされ、御前に出ることができること、聖霊をいただけること、ありがとうございます。

どうか引き寄せてください。御臨在の中に留まらせてください。

あなたの愛に満たされ、あふれて、喜びと平安に満ち、その結果、悪から離れ、全力でイエス様を愛せるものへと変えてください。

【 ともこ 】

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