■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書25章13節 (ヨブ記27章)
★ だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。
■O:今日のコラム
先日、東京では大雪が二週間続けて降りました。特に、二回目の雪は、誰も想像していないほどの勢いと量をもって私たちを襲ってきました。交通機関は麻痺し、各地で車も動けなくなりました。私も家に帰るまで普段は45分程なのですが、SHOPで徹夜の祈りをした後、約3時間かけてやっと家にたどり着きました。
雪が降っている間中、私のiPhoneにはインストールしているアプリから「大雪警報!」とけたたましくアラートが鳴り続けていました。そのことで、外が見えないSHOPで祈っていても、外は大変になっているということがわかりました。
また、約3年前のあの大地震の時も、けたたましく警報が鳴り響いていたのも思い出します。その警報を聞き、すばやく実際の行動に移した人は命を取り留めたと思います。(震災のためにも継続的な祈りと実際的なサポートがまだまだ必要です!)
今日の聖書の箇所は、イエス様から私たちに向けて警報が発令されている箇所です。しかも、この警報はこの箇所だけでなく、聖書の至る所からけたたましく私たちに訴えかけています。
それはどのような警報でしょうか。
「目を覚ませ警報」です。
マタイの24章から25章にかけては、はっきりとイエス様の再臨に関することが書かれています。それはイエス様が十字架にかかる直前に弟子たちに明かしたとても大切で重要な事柄でした。
ここでは油を備えた5人の賢い乙女と備えなかった5人の愚かな娘のたとえ(主の再臨を待つこと)、自分の財産を預けて旅に出た主人のたとえ(賜物を十分に働かせること)、最も小さいものに施しをするたとえ(愛の奉仕)を通して、再臨がどのようなものであるかを教えてくれています。
ぜひ、ご自身で何度も何度もこの箇所を読んで、真理を求めて下さい。これが、私たちの抱いている最大の希望です。すなわち、主が再び戻ってこられるということ。このことを抜きにした信仰は塩が塩気を失ったような信仰といえるでしょう。
聖書ははっきりと告げています。「主は必ず戻って来られる」と。
注目して欲しいのは、賢い乙女も愚かな乙女も、「そら、花婿だ。迎えに出よ。」(6節)という声を聞いていたことです。賢い乙女は油を十分に備えていました。
油とは何でしょうか。
それは聖霊様です。
では、どのようにしたら賢い乙女のように、油を買い、備えることができるのでしょうか。
それは祈りです。
自分の時間を主に捧げ、主との親密な時間を過ごす以外に油を買う方法はありません。残念ながら、その油は他の人から分けてもらうことは出来ないのです。
この世で立派な信仰をもっているふりをしていても、主が来られた時にはすべてが明るみに出てしまいます。
主との関係がしっかりしていない人に、主は「確かなところ、私はあなたがたを知りません」と言われます。
今までどんなに素晴らしい人生を生きていたとしても、これでは何の意味もありません。
油を買うのは今しかありません。主が来られてからでは遅いのです。
今日の聖書の箇所で使われている 「目をさましていなさい」 という原語はグレゴレオーといって、警告する、目を覚ます、見張り続ける、警告し続けるという意味があります。
主が警告されるのであれば、それを悟った人はたとえ周りに「うるさい!」と言われても、この警報をけたたましく鳴り響かせていく必要があります。マラナ・タ!主よ来てください!
■A:考えてみよう
主は突然来られます。その時を知る人は誰もいません。
私たちにとって必要なことは、キリストが再び来られることを単に知るだけではありません。また、ダニエル書や黙示録からその日を計算して割り出すことでもありません。どんなに計算しても、その時は主以外知らないのですから。
主が来てくださることに対して備えることです。残されている時間はそんなに無いかもしれません。できるうちに十分な備えをするために、今あなたはどのような決断をし、どのような行動を取りますか?
主のことばを聞くだけではなく、聞いてすぐに行う者となりましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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