■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書16章4節、ヨブ記18章1-2節
★マタ16:4 姦淫の時代はしるしを求めてい ます。しかし、ヨナのしるしのほかには 、しるしは与えられません。」そう言っ て、イエスは彼らを残して去って行かれた。★ヨブ18:1-2 そこでシュアハ人ビルダデが答えて言った。いつ、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず悟れ。それから私たちは語り合おう。
■O:今日のコラム
2月11日の朝です。今日1日も神様を求め、神様に目を向けていきましょう。主が僕らに必要な悟りを与えてくださるからです。
ビルダデさんの言葉は、ヨブさんに対して上から目線のものに感じます。悟ることはとても重要です。でも、僕らは、苦しみの時に、語り合うのではなく、論争するのではなく、一緒に主を見上げ、主の御顔を慕い求めることが必要なのだと思います。
ヨナさんのしるしは、大きな町ニネベの全ての悔い改めです。主の御顔を避けたヨナが主の御顔を慕い求め、ニネベの町に主のことばを伝え、身分に関係無く町の人々が主を信じ、王と大臣もへりくだり、人から動物までが断食をし、ひたすら神様に目を向け、自分の罪を悔い改めたのです。
悔い改めのしるし、奇跡はいつの時代でもおこることができます。僕らが、主への信仰をもつことは、本当に奇跡なのです。
僕らは、何か悩みがあると、すぐに自分よりも知識のある人に相談します。それは良いことです。が、その人に頼りすぎてしまうかもしれません。そうではなく、頼るべきは、主だけです。イエス様です。聖霊様です。
主をお互いに見上げる時に、僕らは、主の前に一つとなることができます。一致できます。主の力を求めることができます。主はそこで、僕らに悟りを与えてくだいます。
神様が人を通して語ってくださることもあります。ただ、僕らが、人に頼り答えを求めてはいけないのだと思います。イエス様が、去っていかれるほど辛いことはないのではないでしょうか。
今の世も、ヨナのしるしの時なのです。そして、ヨナよりもまさった方が僕らと共に歩んでくださるのです。
十字架で命をかけてくださるほどに愛してくださるイエス様の御顔を慕い求めていきましょう。イエス様が復活してくださり、僕らの内側に住んでくださる聖霊様に導いていただきましょう。天のお父さんにいつも感謝を捧げていきましょう。
■A:考えてみよう
いつも以上に、今日、主の御顔を慕い求めていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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