■S:今日の聖書の言葉

マタイによる福音書11章15-17節(ヨブ記13章)

★ 耳のある者は聞きなさい。
この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、こう言うのです。
『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』

■O:今日のコラム

今日の聖書の箇所では、冒頭で唐突にバプテスマのヨハネが登場します。かと思ったら突然イエス様が町々を責めはじめられます。そして最後は有名な 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」<マタイ11:27> へと続きます。

何の一貫性も無いように見えますが、ここに貫かれている一つのキーワードがあります。
それは悔い改めです。

バプテスマのヨハネは何のために来たのでしょうか。
それは人々に 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 <マタイ3:2> というメッセージ伝え、主の道を整えるために来ました。

また、イエス様はなぜ町々を責められ始めたのでしょうか。
それは人々がバプテスマのヨハネの悔い改めのメッセージを聞き、町々は力あるイエス様の御業を見ました。
しかし、彼らは悔い改めなかったからです。

これはイエス様が今の時代の私たち教えて下さっている重要なメッセージです。
その証拠に 「耳のある者は聞きなさい」 と言われています。この言葉が出てきた時は、その後に重要な啓示が含まれています。

『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』 とは何を意味しているのでしょうか。

それは、ダビデを見下したミカルのように、また、黙示録で書かれているラオデキヤの教会のように、熱くもなく冷たくもない態度で静観している人たちです。

イエス様の福音を聞いても、それに応じない人々、また、熱心に祈り、みことばを読む者に対する冷ややかな目を持った者に対する警告です。当時の律法学者もそのような人たちでした。

律法学者は文字通り、律法をよく知っていました。しかし、彼らはその律法が、聖書が示している救い主なるイエス・キリストが目の前におられ、数々の力強い御業を実際に行ったにも関わらず、それを見るだけで、決して自分の人生を変えようとはしませんでした。

律法は知っているだけでは意味がありません。それを守り行ってこその律法です。
交通ルールのテストで100点を取ったとしても、実際の運転で一方通行を逆走するとそれは明らかに違反です。

マタイ7章24-27節に書かれている、砂の上に家を建てた人も、岩の上に家を建てた人も、共に 「これらのことばを聞いた」人だということに注目する必要があります。その結果を分けたのは「行ったか否か」でした。

悔い改めとは、自分勝手に進んでいた方向から神様に方向転換して歩むことです。真の福音は人々の歩みを神様の方向へと向けさせます。しかし、方向転換だけでは足りません。そこから主の方向へと歩み始めなければならないのです。

自分の力だけでは歩みはすぐに疲れてしまうでしょう。だから、イエス様は最後にこの言葉を添えて私たちを励ましてくださっているのです。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」<マタイ11:28-30>

くびきとは、二頭一組の牛などの家畜の首にかける横木のことです。

主はふたつのものを一つにされるお方です。
男と女、教会とイスラエル、そしてイエス様と私たち。この一致の力は強力なものです。

くびきがかけられると、もはや自分勝手に進むことはできなくなります。
自分の思い通りの方向に行きたいと思ったら、首が痛いだけです。

しかし、私たちのくびきを負ってくださるのは全能なる主、イエス・キリストです。この方に従って行くと間違いありません。

私たちは主に全てを委ね、明け渡すだけでいいのです。
そうするなら、主の手が私たちの手に重ねられ、主の足が私たちの足に重ねられ、主が私たちを義の道へと一歩一歩、歩ませて下さいます。

■A:考えてみよう

いつもは優しいイエス様なのに、なぜこんなにまで憤慨して人々、町々を責められたのでしょうか。
それは、そうまでしても人々に、町々に悔い改めて欲しい、イエス様の側に来て欲しいと切に願う、激しい愛の故ではないかと思います。

あなたはこのようなイエス様からのラブコールを受けてもまだ静観していますか? それともイエス様の愛に応えたいですか?

このことを決断するのは他の誰でもなく、あなた自身です。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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一つのコメント


  1. 通りすがりの者 より:

    ハレルヤ
    イエス様の架けられる軛に従います。どうか私をお導きください
    ハレルヤ
    アーメン

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