■S:今日の聖書の言葉

マタイによる福音書8章28節(ヨブ記10章)

★ それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。

■O:今日のコラム

『その道』と使われている単語のギリシャ語の意味には、『その人生の歩み』と訳すこともできる単語が使われています。

私たちの信仰の歩みの道は、悪霊との戦いを避けては通れない道なのです。

祝福の教えは大好きだけど、悪霊に関する事は、オカルトチックで好まない。悪霊との戦いは誰かがやってくれれば自分は、その人に祈ってもらえばいい、と感じる方もおられるかも知れません。

しかし、どう感じようと、感じまいと、悪霊との戦いなしに、この道は通れないのです。

御言葉の剣がその武器ですが、巧みにその武器を扱うためには、御言葉に親しんでいなくてはなりません。それとともに権威を用いるには、用い方があります。

もちろん御名に権威があるのですが、用い方があるのは事実です。
上から命令するということ(イエス様の言葉使いは、悪霊に対していつも命令形)、言い方を変えれば、勝利者の立場から言う、という事が大切です。

私は、保育園で働いていました。そこで働いている人は、全員が先生という権威を持っています。

しかし、その権威の用い方の差は、子どもたちの反応を見れば一目瞭然です。大声を出せば良いということではなく、理論的ということではなく、その権威というのは内側にある確信からやってきます。

子どもに対して、絶対の揺るがなさを示し続けている先生の言葉は、ただ優しいばかりの先生(私みたいな)の言葉とは同じ言葉を発しても、子どもたちの反応(権威)が違うのです。

8章の全体がイエス・キリストの権威と御言葉によって悪霊に勝利する事でまとめられています。

3節でも癒し(癒しは、悪霊の攻撃に対しての勝利)の鍵は、御言葉です。

そして百人隊長のしもべの癒しなどがあり、16節には、『イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、と御言葉を用いることの大切さに触れ、イエス様の御言葉が勝利をもたらす事に終始しています。

その後の23~27節では、『信仰の薄い者たち』と確信の無さに触れています。そしてこの28節で、悪霊のために、道が通れないということに触れられている箇所に至ります。 

悪霊との戦いは避けて通れない道なのです。

戦いましょう!

勝利者の立場をゆずってはいけません。
目に見えて勝利が無かったとしても、信仰の領域で勝利してこそ、目に見えない領域で勝利してこそ、目に見える勝利が表れ、道が開けていくのです。

■A:考えてみよう

悪霊との戦いを避けない

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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