■S:今日の聖書の言葉

マタイによる福音書4章5-7節(ヨブ記6章)

★ すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」

■O:今日のコラム

ここは、イエス様がサタンの試みを受けるために荒野に行かれた時の有名な箇所です。皆さんもよく御存じのように、サタンも聖書の御言葉をよく知っていて、イエス様に御言葉を使って誘惑しました。そして、イエス様も御言葉をもってサタンの誘惑をしりぞけられました。

サタンとイエス様の御言葉へのアプローチの違いは、いったい何だったのでしょうか?

サタンはいつも真実に混ぜ物をして、本物そっくりな偽物をチラつかせて、人を誘惑し、だまします。

ここではどうでしょうか?

サタンの用いた御言葉はどうだったでしょうか? 詩篇の91篇11節、12節です。御言葉自体には何かを混ぜられた跡は見えません…

何が違ったのでしょうか…?

サタンは3回とも効率の良さでイエス様を誘惑しました。

「空腹なら、石をパンに変えたらいいじゃないか。即、お前の腹は満たされるぞ。」

「聖なる都の神殿から飛び降りて、そこで御使いに助けさせたら、あっと言う間に注目を浴びれて、簡単に人々はお前のことを神の子だと信じるぞ。楽に伝道が出来るじゃないか。」

「俺を礼拝すれば、お前の欲しがっているこの世を、すぐにお前に渡してやるぞ。十字架の恥や苦しみ抜きに、うまいことやれるじゃないか。」

2つ目の誘惑の時、サタンは御言葉を使って、効率の良さを訴えたのです。ここで、サタンにとっての御言葉は、自分の都合に合わせる道具でした。

けれども、イエス様にとって御言葉とは、「天の父の御心を教えてくれる宝」でした。

イエス様は絶えず、天の父の御心は何なのか、御父は何を望んでおられるだろうか、御父の喜ばれることはなんだろうか、という、御父に対する誠実な思いをもっておられました。

3つの誘惑に対して、イエス様は御言葉を用いて「天の父の望まれていることはこれだ!」と示し、誘惑をしりぞけられました。

サタンは、効率の良さ、都合の良さをチラつかせて、私たちの思いを惑わし、私たちの神様に対する信仰を骨抜きにします。

また、サタンは時に御言葉をも用いて、都合の良いように解釈させたり、私たちの心を責めたり、困惑させたりするのです。もちろん、御言葉によって義の矯正と訓練を受けることはとても大切なことです。けれども、その義の矯正や訓練も御父の愛のもとで行なわれるものなのか、罪の責めから恐れの中ですることなのかで大きく違います。

私たちが御言葉に親しむ時、そこにはいつも「御父の御心はなんでしょうか? 父よ、私にも愛するあなたの心と思いを教えてください。」という、神様への誠実さが必要です。

私たちが御父の思いに対して、無関心なまま御言葉を読むならば、それは自分の都合に合わせる道具や自分の心を責め立てるものになりかねません。けれども、御霊に導かれながら、御父の思いに心を馳せて御言葉を味わう時、愛に満ちた御父の心を知ることが出来るのです。

そのようにして、私たちが聖霊に満たされつつ御言葉に親しみ、御言葉をたくわえていくならば、サタンがたとえ巧妙に御言葉を使って惑わしてきたとしても、主の御心という角度から御言葉を見、サタンの誘惑や試みをしりぞけることができるでしょう。

■A:考えてみよう

御言葉を読む時、いつも知恵と啓示の御霊を求めて祈りつつ、味わいましょう。御霊に導かれながら、御言葉を読むことによって、さらに真理を悟り、父の心を知ることができますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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一つのコメント


  1. 通りすがりの者 より:

    主に感謝します。

    私も御言葉を自分の都合や効率に合わせて読んでいました。目が開かれました。感謝します。
    私は悔い改めます。
    ハレルヤ
    アーメン

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