■S:今日の聖書の言葉
創世記48章14節(同47章)
★ すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。
■O:今日のコラム
この箇所でイスラエル(ヤコブ)は、理解し難い行動をとります。人生の最後にヨセフの子ども達マナセとエフライムを祝福する時、手を交差して彼らを祝福しました。
聖書において「右の手」という言葉には、主にある(力、権威、親しさ、祝福、恵み、好意、繁栄)など、様々な意味があります。本来その右の手による祝福は長男マナセの上に置かれるべきものでしたが、イスラエルは弟のエフライムの上に右手を置き、長男マナセの上に左手を置きました。
ヨセフがイスラエルに「父上。そうではありません。こちらが長子なのですから、あなたの右の手を、こちらの頭に置いてください。」と言うと、彼はそれを拒み「わかっている。我が子よ。私にはわかっている。」と答えました。つまりこれはイスラエルが故意的にとった信仰による行動だったのです。
イスラエルは長子の権利と祝福をエフライムに与えました。
その祝福の故に、後にエフライムはイスラエルの主要民族となって行きます。
ソロモン王以降、北イスラエルと南ユダに分裂しますが、この北イスラエルの名前は聖書の中で「エフライム」と呼ばれており、エフライムが北イスラエルを代表する民族となりました。
しかし王国分裂後、北イスラエルは390年間、偶像礼拝を重ね、その罪の故に紀元前722年、アッシリアの侵略によって崩壊し、北の十部族は全世界に散らされ、歴史の中から姿を消しました。
しかし、そこには主の大いなる御計画があり、イスラエルは諸国に散らされ、異邦人の間に住まい、異邦の民に祝福を運ぶ者となりました。ここでヤコブから受けた「彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」という祝福は、働き続けているのです。
主は、このイスラエルを回復されます。それは国家的、民族的、地理的なイスラエルの回復と同時に、諸国の民とユダヤ人が新しい一人の人となって主の御前に立つ事を意味しています。
その為にヤコブはここで預言的な信仰の祈りをします。それが手を交差した祈りでした。これは、イエス・キリストの十字架を通してこれが成就する事を意味しています。
最後にエペソ書を共に読みましょう。そして、主の深く、計り知れない豊かな計画を覚え、十字架の故に主の御国の民として回復されたその恵みを感謝し、大いなる主イエスの御名をほめたたえましょう。
■A:考えてみよう
(エペソ人への手紙 2章:12-16節)
そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
■P:祈り
主よ。日々、御言葉と祈りを通して切にあなたの心を求め続けます。あなたの内に深くある御心を教えて下さい。
イエス様。あなたの心を持って祈る事が出来ます様に聖霊様導いて下さい。
【 しんご 】
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