■S:今日の聖書の言葉
創世記32章24-25節 (同31章)
★ ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。
■O:今日のコラム
ヤコブは生まれた時に兄エサウのかかとをつかんでいたというほど、生まれながらにして人を押しのけ、自分の力で成功をつかみ取り続ける狡猾な性質の持ち主でした。
神様はこの章に至るまでの間に、幻を見せて祝福を約束したり (28章)、叔父にだまされて失望させたり (29章)、夫婦間の困難を通させたり (30章) と、さまざまな形で、彼の神様へ信頼を向けさせようとされました。32章の始めには、主は神の軍勢までヤコブにお見せになりました。
けれども、ヤコブは最後の最後まで、自分の力と自分の知恵で自分の身を守ろうとし、神様への心からの信頼をもたずにいたのでした。自分の人生において、神の主権を認めず、主の権威を傷つけてきました。
32章の最後では、兄エサウから襲われるかも知れない、という状況から自分の身を守るために、妻や子どもたちさえも自分の先に行かせてしまうせこい有り様です。
神様はそんなヤコブに直接、出会ってくださいました。
今までの神様のあらゆる働きかけの集大成のようです。
「その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって」 とは、神様がヤコブより弱かったわけではありません。これは、主のどんな働き掛けにもヤコブが心を変えて、へりくだることをしなかったことを表わしています。主は、自分の罪を認め、神を信頼することが出来ない強情なヤコブのもものつがいを、はずされました。
もものつがいは、肉体を支える「力」をもつ部分であり、霊的には「自我」を意味します。
そして、32章27節で主はヤコブに 「あなたの名は何というのか。」 と尋ねられました。そこで、彼は自分の名前を「ヤコブ(かたく古い人、人の権威を傷つける者、押しのける者) です。」 と答えました。
自分の名前を言い表すことによって、彼は自分が今まで犯してきた罪、自分の罪なる性質を認め、告白し、ついに自分の自我を主に明け渡したのでした。
その時、神はヤコブにイスラエルという新しい名前、新しい人生を開いてくださいました。
そして、ヤコブはその場所を 「ペヌエル (神の御顔) 」 と呼び、神様の力や、神様の恵みや珍しい経験にフォーカスをあてるのではなく、主の御顔、主との親しい交わりに目を留め、主御自身を喜びとしました。
創世記25章27節で 「ヤコブは穏やかな人」 であったとあるように、ヤコブは決して回りの人を振り回すようなわがままキャラではありませんでした。けれども、その穏やかな人柄の下に、主の主権を押しのけて、自分の人生を自分で治めようとする、自分の知恵ですべてを上手くいかせようとする、そのような性質が隠れていたのでした。
自分の人格はまあまあ整えられていると思っていても、私たちの中にもそのような「ヤコブ」があぐらをかいていることがあるでしょう。
けれども、私たちが神の軍勢に組み込まれ、用いられていくためには、常に自分の死にきれていない古き性質、罪を主に告白し、自分の自我を主に明け渡さなければなりません。
この後、新しい名前をもらったにもかかわらず、何度もヤコブは古い性質が顔を出し、それゆえに堕落し、神様を悲しませてしまいます。
私たちも捨てたと思った自我が、また自分の人生をコントロールすることもあるかも知れません。
自我に日々死に続ける、日々、主の主権を宣言し続けることが重要です。
これから、主はますますあらゆる事柄、奇跡を通して私たちの人生にご自分の栄光をあらわして下さるでしょう。
けれども、私たちはそのような、神様のしるしや不思議、力や恵みだけに目を留めるのではなく、いつも、ペヌエル、主の御顔、つまり主御自身を自分の一番の喜びとしていきましょう。
■A:考えてみよう
自分は、今の困難や問題を自分の知恵や力で解決しようとしていないだろうか。自分の人生の隅から隅まで主の主権が行われているだろうか。
自分の人生の中で、主に入ってこられると居心地が悪いところ、都合が悪いエリアはないだろうか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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