■S:今日の聖書の言葉
創世記3章2-4節、創世記4章26節
★創3:2-4 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』 と仰せになりました。」そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。」
★創4:26 セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。
■O:今日のコラム
蛇にそそのかされたアダムとエバは、善悪の知識の木の実をとって食べましたが、死にませんでした。その代わりに彼らは自分たちが「裸」であることを恥じて、神を恐れ、隠れました。
神様が言われていた“死”とは、罪、神との断絶のことでした。神に不従順になり、御心と外れた時に、それは罪となり、神との親しい関係に溝をつくってしまうのです。
「主の御手が短くて救えないのではない。… あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神とのしきりとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」 (イザヤ書59章1-2節)
神との関係が絶たれる時、それは死を意味します。
アダムとエバは、神様との信頼関係を不従順によって、壊してしまいました。しかし、その断絶を、主は、御子の血潮によって贖い、御子を通して、再び御父との親しい関係へと回復して下さいました。ハレルヤ!
ヨハネの黙示録の7章14節に出てくる 「その衣を小羊の血で洗って、白く」 した勝利者たちは、生涯、白い衣を受けようと願って、どんなしみも罪も残さないようにと注意を払いました。常に主の御心を自分の心とすることを望みました。
いつも悔い改めて、小羊の血潮で清められることを願いました。それは決して、天において誰よりも偉大な者となりたいとか、天において立派な座につきたいという願望のためではありませんでした。それは何よりも、罪によって、主との親しい交わりにへだたりが出来ることを、大きな悲しみとしたからでした。
夫婦関係や親子関係において、夫の関心事に妻が無関心であったり (またその逆も)、子どもの願いに親が無関心であったりするならば、それはとても冷えた悲しい関係です。
神様は私たちの心にある願いや思いにいつも、最大の関心をもっていて下さいます。私たちは、愛する方の関心事に無関心なのではなく、今年一年、今まで以上に愛する方の御心、神の関心事に思いを向けていきましょう。主と近くいるために、ますます清くされることを願いましょう。
創世記4章の最後ではエノシュが生まれてから、「人々は主の御名によって祈ることを始めた。」 とありますが、別訳では「偶像礼拝者と自分たちとを区別した」とあります。
今の時代、サタンはますます 「それをしても、あなたは決して死にません。」 「それを選んでもあなたは決して死にません。」と巧妙に仕掛けて来るでしょう。
私たちは、ますます目を覚まし、日々生活の中、心の中に入り込んでこようとする偶像礼拝 (神様以外のものを愛し一番とする、神様以外のものに心を奪われる状態) と自分たちを区別し聖別し、黙示録の勝利者たちのように、神様との親密さを優先順位の一番上にしていきましょう。
■A:考えてみよう
年始の休みの期間、自分の心を吟味し、神様よりも大切にしているものは何か、あらためて探ってみましょう。
御言葉によって、心を照らしていただきましょう。真理の御霊に導いていただきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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