■S:今日の聖書の言葉
マラキ書3章2節(ヨハネの黙示録21章)
★ だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。
■O:今日のコラム
イエス様は、恵みとまことに満ちておられる方です。
2000年前に誰一人さばくことなく、恵みを注ぎに来られた方は、今度はさばき主として来られます。
恵みの後にはまことなのです。
モーセの幕屋を見ても分かりますが、主は、いけにえによって受け入れてくださいますが、その後にはきよめがなければ先へは進めません。
私達も、神の子羊イエス様という、いけにえによって受け入れられてから、先へ進むには、きよめられなければならないのです。主の御心は、私達がきよめられることです。
きよめは、共同作業です。主の力が私達をきよめ続けてくださいますが、私達が拒むなら、そのきよめは遅々として進みません。
主は強制的に私達をご自分のものとはされません。私たちを尊重してくださっているからです。私達がきよめられることを願い、神の力が注がれて事はなされていきます。
このきよめは、大きく分けて2種類あります。それは、精練する火と布をさらす者の灰汁です。
精錬は不純物を取り除くことです。灰汁で漂白するなどやった人は現代の日本にはいないでしょうが、真っ白に汚れを取り除くことです。言い換えるなら、純粋さという清さと、汚れない神の性質という聖さです。
今、神は、恵みの時代に終止符を打とうとしておられます。それはさばき主として再び来られる日が近いということです。だから主の御手は、いま急速に私達をきよめようとしておられる状況であると信じます。
主に対してより純粋に求める事を願うなら、それは急速になされるでしょう!
自分の所有権を完全に主に明け渡し、神の所有であることを認めるなら、そのことは急速にかなっていくでしょう! 今がその時だからです。
主が再び来られるその時は、傷もシミもシワもないキリストの花嫁が建て上がる時です。
■A:考えてみよう
自分の成功、自分の快楽に目を向けず、純粋に主を慕い求める心を、絶えず主の御前に捧げましょう!
自分自身を生きたきよい供え物として捧げ、『私の全てはあなたのものです。』という告白と心をもって一日を過ごしましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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