■S:今日の聖書の言葉

ヨハネの福音書12章42-43節(アモス書6章)

★ しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。

■O:今日のコラム

『それにもかかわらず』とは、イエス様の奇跡を目の前で見ても、ユダヤ人の心が閉ざされていて、理解できない、というイザヤの預言の成就を指しています。

そんな中でも、ユダヤ人指導者達は、旧約聖書の約束にある通り、盲人の目を開け、死人をよみがえらせるのは、メシヤにしかできないことを理解していました。彼らは、イエス様こそメシヤであると信じることができたのです。

しかし、告白はしませんでした。告白するなら、ユダヤ人の集まりには、入れないことに決まったからです。そうなると、今までの地位、権力、評判を失ってしまうからです。彼らは、人からの評判と神からの評判を天秤にかけて、人からの評判をとったのです。

よく『信じる者は救われる』と言いますが、彼らは救われたのでしょうか?

聖書には、『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』(ローマ人への手紙10章10節)

彼らは、恵みによって、救いの力である信仰を得ました。しかし、告白を拒んだため、救いを得ることができませんでした。

このことから、多くの事を学べるでしょうが、特にひとつの事をピックアップします。

これが、今の私達に重要なように感じます。それは、ひたすらに神からの評判を求めるということです。

神からの評判より、人からの評判を求める事は、私達に与えられている救いの計画をSTOPさせてしまいます。この時のユダヤ人指導者がそうであったのではないでしょうか?

救いのわざは、主の恵みに対して私達が応答するという、協同作業なのです。

■A:考えてみよう

ひたすらに神の評判を求める。心をご覧になっている神をお喜ばせすることに人生を捧げる。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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