■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書3章6節、30-31節 (ホセア書11章)
★ヨハ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
Flesh gives birth to flesh, but the Spirit gives birth to spirit. (John 3:6 NIV)★ヨハ3:30-31 あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」
上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる。
■O:今日のコラム
ライオンからはライオンの子が生まれ、ウサギからはウサギの子が生まれます。キュウリの苗にメロンはなりません。
私たち人間の、目に見える身体と、一人一人の内側にある心は、産みの親から受け継がれていますね。私たちの身体にも、内面の性格にも、肉の親から受け継いで、親に似ているところがあります。
しかし、そのさらに内側には、霊の領域があると、聖書は教えています。そして、生まれつきの人間はこの霊の部分が死んでいて、イエス様を信じる信仰によって、神様の子どもとなる時初めて、この霊の部分が新しく生まれると書かれています。
肉体の年齢に関わらず、人はイエス・キリストを救い主として信じた時に、霊の赤ちゃんとして新しく、もう一度、生まれるというわけです。
今日の箇所で私がはっとしたのは、6節の英語訳を読んだときのことです。
冒頭に載せた、英語の、ニューインターナショナル訳がそれです。この訳の直訳は、「肉は肉を生み、御霊は霊を生む」となります。
クリスチャンになって、神の国のものになった私たちは、この素晴らしいイエス様を、ぜひ他の人にも信じてほしい、と願うようになります。トラクトを配ったり、教会に誘ったり、説得したりしてみます。
でも、霊の子どもが生まれるのを見たいなら、聖霊の力が、何としても必要だということが、今日の箇所から改めてわかりました。
私たちの教会の建物がどんなに素敵でも、よいプログラムがあっても、また私たちが親切であったり、仕事や家庭がうまくいっていたとしても、もし、教会の中に聖霊の臨在がなく、私たちが御霊によって歩んでいないなら、本当の霊の子どもは生まれないのではないか、と。
だから、新宿シャローム教会で、たえず主の御顔を慕い求め、主の臨在を恋い慕い、呼び求めているのは、結果的には、教会に主の御霊・御臨在があふれ、魂が救われることにつながっていくと、私は信じています。
では、私たちクリスチャン一人一人に関してはどうでしょうか。私たちがたとえクリスチャンであっても、もし、私たちの肉が強く、自分の意見、自分の好み、自分のこだわり、計画、やり方が強いなら、聖霊が働かれるのを妨げてしまうのではないでしょうか。
私たちが、イエス様の命令通り「自分の命を捨て、毎日、自分の十字架を背負ってイエス様について行けるようになる時」、自分の思いではなく「天のお父さんの御心を、求めて行なえるようになる時」、私たちを通して流れる「聖霊の働きによって」、「霊の赤ちゃん」が生まれていくのではないでしょうか。
■A:考えてみよう
今日も、聖霊様を歓迎していきましょう。御霊に満たされ、肉に死に、御霊に導かれることを求めていきましょう。
私たちの生活の中に、ねたみや、比較、争いや、批判、裁き、その他、不信仰や不満、臆病、偶像崇拝や分裂、不品行などの、肉の行いは、表れていないでしょうか。
もし、肉の行いがあるなら、私たちは御霊によってではなく、肉に従って歩んでしまっているのです。このままでは、霊の子どもの誕生を見ることができません。
主の恵みを受けて、勝利出来るように、主にとどまり、御霊に導かれ、喜び、平安、愛の実を結ぶ者となれるよう、祈っていきましょう。
■P:祈り
主よ、肉に従わず、御霊に従って生きることができるよう、勝利する恵みを与えてください。
聖霊様歓迎します。私を満たしてください。導いてください。
今日も主にとどまり、お父さんを喜ばせる実を結ぶことができますように。
主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。
【ともこ】
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