■S:今日の聖書の言葉

ホセア書7章10節、ヘブル人への手紙12章2、5-6、11節(聖書本文は口語訳)

★ホセ7:10 イスラエルの誇は自らに向かって証言している、彼らはこのもろもろの事があっても、なおその神、主に帰らず、また主を求めない。

★ヘブ12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右の座するに至ったのである。

★ヘブ12:5-6 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を、むち打たれるのである」。

★ヘブ12:11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

■O:今日のコラム

11月5日の朝です。今日1日も神様を求めていきましょう。苦しいとき悲しいとき、嬉しいとき喜ぶときに主を見上げ、感謝し賛美していきましょう。神様の願いは、僕らが神様に帰り神様を求めていくことです。

神様を信じていても、苦しいこと悲しいことはなくなりません。むしろ、多くなったんじゃないかと思えるほどの時を通ることがあります。そんな所を通るとき僕らは感謝し賛美できるでしょうか?

しかし、その時こそ感謝し賛美する時です。主は僕らにもっと成長することを望んでくださっているからです。

「それ以上成長しなくて良いよ」と言われることは本当の辛いことなのだと思います。主は僕らに成長してもらいたいのです。鍛えたいのです。平安な義の実を結ばせるためです。

運動部の先生が「練習は自分たちが楽しいように勝手にやって良いよ、筋トレは筋肉痛になったりで大変だからやめよう、今楽しい時間を過ごしてね」と言うならば、それは善意ではなく、見放しです。その部活の大会の成績は悲惨なことになると共に、彼らは卒業後何の身にもならない時間を過ごしたことに気が付くか、気が付くことすらもないかもしれません。

主は僕らに成長してもらいたいのです。

イエス様はこの世で様々な苦しみの中を通りました。信仰を導き完成するためでした。

十字架を僕らの成長のために喜んで忍ばれました。僕らが通る苦しみ以上の苦しみをイエス様が通ってくださっています。

僕らが弱り果てないために聖霊様も送ってくださいました。僕らが自分の力で解決しようとするならば、必ず弱り果ててしまうでしょう。しかし、聖霊様が力を与えてくださいます。聖霊様は僕らが主のもとに帰り、レベルアップするために常に側に内側に住んでくださっているのです。

苦しいこと悲しいことは目の前にあるように思えますが、それ以上の主の恵み、愛が僕らを包んでくださっています。

だから、苦しいこと悲しいことがあるとき、僕らは感謝し賛美することを選んでいきましょう。僕らは、また一つレベルアップできるのです。

■A:考えてみよう

今ある苦しいこと悲しいことをどのように扱いますか?

主のもとに帰る材料にしますか? 弱り果て打ちのめされる機会にしますか?

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走る機会にしていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】

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