■S:今日の聖書の言葉

ヘブル人への手紙4章1、2、16節(哀歌4章)

★1-2 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。

★16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

■O:今日のコラム

私たちには、神の安息に入る約束が与えられています。それは、カナンという約束の地に入る時のイスラエル人たちの状況になぞらえられています。

『私達は恐れる心を持とうではありませんか』とは何を恐るのでしょうか?
神を恐れる? それはもちろんですが、原語に詳しい翻訳の聖書(詳訳聖書)では、ハッキリと『約束に対する不信を恐れようではありませんか』とあります。
 
神の約束は必ず果たされます。自分には行き着くことができないんじゃないだろうか? という疑いを捨て去って、御言葉を信頼して歩みましょう! 主は真実な方ですから、約束を必ず果たされます!

『それを聞いた人たちに、信仰によって、結び付けられなかったからです』は、詳訳聖書では、『彼らは、聞いて、信じた人であるヨシュアとカレブと信仰を一つにしなかったからです』とあります。

神の安息に入るための信仰のモデルは、ヨシュアとカレブです。状況に捕らわれず、主に信頼を置き続ける、彼らは、神の約束の地(安息)に入りました。 

自分は、彼らとは違う、彼らは聖書に登場する特別な存在、自分は平凡な人間だ、と思われるかも知れません。

確かに彼らとは違います。しかし、16節にあるように、主はおりにかなった助けをいただくことができるのです。おりにかなった助けとは、『その人の、そのタイミングにピッタリの助け』が与えられるということです。

私達には十分な力がない、と思われるかも知れません。その通りです。私達に神の安息に入るに足る力はありません。しかし、主は必ずおりにかなった助けをお与えになり、そのことを成し遂げられます。私達にそのための力を注いでくださいます。

私達には、その恵み、あわれみを受け取るためにしなければならない事があります。それは御座の前に進みゆくことです。おりにかなった助けは、その時に与えられるからです。

日々、朝に昼に夕に、どんなときにも、どこにいても、何をしていても私達は、主の御前に進みゆく事を最優先事項にしていきましょう!

■A:考えてみよう

自分の生活の中で、今よりも主の御前にあり続ける事を願おう! 生活の中で今よりも多くの時間、主を見上げるにはどうしたらよいか考えよう! 今よりも祈りの時間を増やそう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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