■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書20章21節

★イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

■O:今日のコラム
春の季節はとても美しい季節です。野にも山にも、街路樹にも花が咲き乱れ、死んだように見えた枯れ木が一気に命を吹き返すように感じます。契約の箱の中に入っていた、新芽を吹き出したアロンの杖は、復活の力と活力に満ち溢れた命なるイエス様を意味するものでした。

今日は過越を経て初穂の祭り、復活の主イエスを覚える時です。イエス様は十字架の死と葬り、復活を通して私たちに重要な回復を与えて下さいました。その回復が短い一節にまとめられています。

「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。」(マタイの福音書27:51)

(1)父なる神との関係の回復
ルカの福音書3章を見ますとイエス様から遡った系図があり、最後はアダムまで行き着きます。「○○の子○○」という表現で記されていますが、最終的にアダムまで遡ると、アダムは神の子である。と記されています。これがアダムの身分であり、私たちの本当の造られた目的なのです。

私たちは神の子として創造されました。しかし、アダムが善悪の木の実を食べ、罪が入り込んだ時、アダムが父なる神との関係を失ったと同時に全人類がその身分を失い神との間に大きな隔たりが出来てしまいました。

父なる神は人が命の木の実を食べないように、二体のケルビムを配備し、エデンの園から外に締め出さなければなりませんでした。罪の結果、人は神との親密な関係を失い、主の臨在から遠く離れて生きなければならなくなったのです。

しかし、そういう状態になっても父なる神の内には、人と共に歩み、人と共に生きたい。という強い願いがあり、旧約聖書の、祭壇や幕屋や神殿の礼拝は、聖なる神が罪ある私たちとどのように歩むのかを示した型です。
しかし、神と人との間の隔たりはどのようなものでも取り除くことができませんでした。

旧約聖書の時代、神が御臨在される至聖所と人との間には絶えず分厚い隔たりの幕が存在していました。しかし、イエス様が十字架にかかられ「完了した。」と叫び、贖いを完成された時、神殿の幕が上から下まで真二つに裂け、父なる神と私たちの隔ての壁は全て取り除かれました。

神殿の分厚い幕には二体のケルビムが描かれていました。つまり、あの始めにアダムがエデンを締め出された時の彼らが命の木に向かわないようにそこに配備されたケルビムがキャンセルされたのです。

私たちは大胆に確信を持って命の木へと向かうことができるようになりました。その命の木とはイエス様ご自身なのです。そして十字架の贖いを通してもう一度、主イエスは父なる神と私たちの親子関係を回復して下さったのです。

(2)御霊に満たされる生き方
神殿の幕が裂けると共に、岩が裂けました。この神殿にある大きな岩に大祭司は一年に一度、仮庵の祭りの最後の大いなる日に、シロアムの池から水を汲んで来て岩の上に注ぎ、いつの日かエゼキエル書に預言されているように、いのちの水が神殿から流れ出すことを宣言していました。その大いなる祭りの日に、主イエスは神殿でこのように叫ばれました。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』」(ヨハネの福音書7:37~38)

この命の水とは聖霊様のことを言われたのです。ではこのことを踏まえた上で、神殿の岩が避けたとは、私たちが聖霊様に満たされて、いつも満ち溢れて生きる道が開かれたことを意味しています。

(まとめ)
ヨハネの福音書20章で復活の主イエスは「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われました。もはや、働き人や弟子というだけではなく、イエス様と同じ身分を受けた神の子どもとして、改めて使命を受けて遣わされていくのです。この使命を主イエスは使徒たちに与えた後に息を吹きかけて彼らに「聖霊を受けなさい。」と言われました。

私たちが主の使命に立ち生きるためには、主イエスの十字架の贖い、父なる神との親密さ、聖霊様の満たしを受けることが絶対に必要なのです。

マナが降るのが止んだ後、ヨシュアに導かれたイスラエルの民は自ら剣を握り約束の地を相続して行きました。私たちも司令官であるヨシュア(イエシュア、すなわちイエス様)に導かれて御言葉の剣をしっかりと握り信仰の戦いを勇敢に戦い抜き、主の約束の地を相続して行こうではありませんか。

また主イエスが天に戻られた後、聖霊様が来られ、教会を命で満たし導き続けました。
御霊が私たちと共におられます。必ず私たちは主が任せて下さったご計画を成し遂げることができます。この復活の日イエス様が私たちにも言って下さいます。

「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

さあ。主からの使命を共に受け取り、今日から新しい信仰の歩みのスタートを共に踏み出そうではありませんか。主が我らと共におられます。主にあって必ず出来ます。

(あいさつ)
長年に渡りマナメールをご愛読くださりありがとうございました。主イエスの御前に立つその時まで私たちの霊・魂・体のすべてが守られ、完成されて行きますように。父なる神の愛、主イエスの恵み、聖霊なる主の豊かな親しき交わりが、これからも日々皆様と共にありますように。

我らの主、救い主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しんご 】

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