■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き24章16節

★そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。

■O:今日のコラム
パウロは、議会に連れ出された時、はじめに「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」(使徒23:1)と言っています。

良心という言葉を辞書で調べると、「善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き。」と書いてあります。

良心は、目に見えない心の働きです。そして自分が何か悪いことや、やましいことをした時、そこに人がいなくても、誰も見ていなくても、心の中に何か違和感を感じます。また、自分でも悪いことだと感じていながら、それをしようとする時「それをしてはいけない。」と心の中で声を感じることもあります。

例えば仕事をしていて、猫の手も借りたいくらいに忙しい時、隣から「ごめん、パソコンが動かなくなっちゃったんだけど、分かるかなぁ?」って声をかけられた時、面倒な顔をせずに手伝ってあげれば「ありがとう!」って言われるでしょう。そのような時、「やって良かった!」って心が感じると思うんです。しかし、頼まれた時に「こっちも手が離せないんだよ!違う人に聞いて!」って言ったとしたら、その後、心の中ですごく嫌な気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。

これは、誰かに言われなくても私たちは善悪を知っているからですよね。 私たちは良い方を選ばなくてはいけないという事を分かっていますし、良い事をしたいと願っているからですよね。これを導くのが良心なんです。良心というのは、誰も見ていなくても働きますから、良心は人の働きかけではなく神様の働きかけだと信じます。神様が、自分で善悪をわきまえるようにと人の心に与えられたと信じます。

そして時に良心は、罪のために汚されることもあるんです。

「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。(テトス1:15)

「しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。」(1コリント8:7)

と聖書は警告しています。

良心というものは、この世の中にあってしばしば光を失ってしまいます。だからパウロは「神の前で」と宣言したんです。私たちも、良心をくださった神様に目を向けて歩んで行きたいと願います。

人の前にも神の前にも責められない、神様の光に照らされた良心を持って歩んで行こうではありませんか。

■A:考えてみよう
自分の良心は汚れていないだろうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

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