■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き14章8,9節
★ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれつき足のなえた人で、歩いたことがなかった。
この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、
■O:今日のコラム
今日の聖書箇所では、パウロの話を熱心に聞く、生まれたときから足なえ(足が麻痺している)で、歩いたことのない人が登場します。
生まれつき足に問題を抱えているということは、一度も自分の足で立ったことがない、自分の行きたいところへ行けない、お風呂もトイレも人の世話にならなければいけない、周りの人々からの助けを必要とします。
この当時は今ほど福祉などは充実していません。生きている限り障害を背負って、不公平を味わわなければいけませんでした。
また、当時のイスラエルは障害を持って生まれた子どもは、「先祖か家族の誰かが罪を犯したゆえに、神にさばかれてそうなった」と考えられ、障害者は「罪人の子」と世間から白い目で見られていたそうです。
そのような時代、そのような状況の中で、ここに出てくる足なえの人はパウロの話しに耳を傾けて聞いていました。しかも、自分が癒やされる、別訳では「救われる」信仰を持っていました!
この「信仰」とは、よく耳にするギリシャ語でピスティスです。ピスティスとは、「イエスがメシアであり御国で永遠の救いを得るという強い確信、忠実、信頼、キリストに対する強い信頼」を意味します。
10節で、この歩けない人はパウロの言葉によって歩きだします。
「大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。」(使徒14:10)
第3礼拝のメッセージの中でもあったように、四方八方塞がれたように感じること、思うように進まないこと…私たちもこの地上で歩む中にあって、コロナ禍での生活であったり、足のなえた人のような不公平だと感じる状況を通ることがあると思います。
たとえどのような状態であったとしても、全地を治める神様もパウロと同じように、自分の言葉に耳を傾けてくれる者、失望しないで信頼してくれる者、キリストに強い信頼を置く者には同じように「立ちなさい」と言って、引き上げてくれるのではないでしょうか?
神様は、わたしたちの信仰を見ておられます。たとえそれが切れそうであっても、小さくてもです。
先が見えない、望み得ない状況の中であっても、神様の声に耳を傾けるか?神様の声を聞くことに忠実になるか?強い信頼をイエス様に置くか?
十字架、神様の愛により頼むこと、神様の哀れみを受けることこそが、私たちが強い信頼をイエス様に置ける力の源だと思います。
これから全世界に来る試練の時に、私たちの力、努力、方法ではなく、十字架に、神様の愛により頼む、神様と1つ心になることが試練を乗り越える秘訣と感じます。
「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:16)
■A:考えてみよう
足がなえている人のようだと感じること、望み得ない状況、強い信頼をイエス様に置けない時、ありますか?
信仰を手放しそうな時、「わたしを哀れんでください」と告白しましょう。
様々な状況の中にありますが、出来る限り神様の声を聞く場所に自分を置きましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
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