■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き10章44節
★ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
■O:今日のコラム
ペテロはユダヤ人でした。使徒の働き10章28節に書かれていますが、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりすることは律法にかなわないことであったようです。ユダヤ人と外国人の大きな違いは、神の言葉を持っているか持っていないかであるとも言えると思います。
「では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。」(ローマ3:1~2)
ペテロは、神様からの幻を受けて、神様の言葉が与えられていない外国人の所に行き、御言葉を語りました。ペテロの語る言葉に耳を傾けていた全ての人に聖霊が下りました。
これは、現代に生きる私たちにも当てはまることだと思いました。私たちも神様を知らない民でしたが、語られる御言葉を聞き、その言葉を信じる信仰が生まれました。聖書の別な箇所に、
「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)
とあります。この御言葉から神様の口から語られる御言葉そのものが霊であると言えます。だから、ペテロの語る御言葉に耳を傾けていた人に聖霊が下るのは頷けることです。
そして、今日、私が取り上げた御言葉から、誰かが語る御言葉を聞く人に聖霊が下るのであれば、私たちが自分自身に御言葉を語るならば、その中に聖霊が働くようになると思いました。
私自身も毎日御言葉の朗読に励んでいます。時が良くても、悪くても、まず自分自身の中に御言葉の種を蒔き続けたいと思っています。しかし時に、御言葉を単調に朗読するとこんなことをやっていて意味があるのだろうかという思いが過る時があります。そして、朗読することを無意味に感じてしまうこともあります。
しかし、今日の御言葉から改めて励ましを受けました。御言葉に耳を傾けていた人たちに聖霊が下ったので、私たちが毎日御言葉を朗読し、御言葉を自分自身の耳に聞かせるならば、その中に聖霊が下るのだと思いました。
■A:考えてみよう
御言葉を朗読するスケジュールを立て、御言葉の朗読に励んでいこう。誰か朗読を励まし合う仲間を見つけるのも良いと思います。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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