■S:今日の聖書の言葉
エレミヤ書5章20,21節

★ヤコブの家にこう告げ、ユダに言い聞かせよ。
さあ、これを聞け。愚かで思慮のない民よ。彼らは、目があっても見えず、耳があっても聞こえない。

■O:今日のコラム
エレミヤが南王国ユダとその諸国に神の言葉を預言しました。時代は違いますが、イザヤもイスラエルの民に同じように預言した有名な言葉があります。

「すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように。」(イザヤ6:9,10)

このイザヤによって預言された神の言葉は、新約聖書の中で最も多く引用されている旧約聖書のことばの一つです。

「こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。
それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』」(マタイ13:14,15)

エレミヤやイザヤを通して語られた神の言葉は、「目があるのに見ていない。耳があるのに聞いていない。」という状態に対する神の嘆きと警告でした。私たちは時に御言葉を読んでいるのに見えていない、聞いていない時があります。

4月でマナメールは終わりますが、皆様に是非このエレミヤ書、イザヤ書で語られた神の警告の言葉を心に留めていただけたらと願います。マナメールはあくまでも、個人的に神様から受け取った語りかけを分かち合っているものであります。

教会でメッセージを聞くことや、マナメールや他のデボーション用の書物を読むことなどは、霊的成長の糧や励まし、慰めとして役立つこともあるだろうと思います。霊的成長の過程でそういったものが必要なフェーズもあるでしょう。

けれども、たとい沢山の素晴らしいメッセージを教会で聞くことがあっても、どれだけマナメールを読み続けても、それはあくまでも、誰かが神様から語られたことを聞いているのに過ぎないのです。

誰か他の人が受け取ったマナではなく、自分の手でマナを受け取るためには、私たちの霊的な目や耳が御言葉の語りかけに開かれている必要があります。

私たちの霊的な目や耳が開かれ、その日その日に必要な霊の糧、マナを受け取るにはどうしたら良いのでしょうか?

●真理の御霊を歓迎する
聖霊様は私たちが御言葉に隠されている神の真理を悟ることができるようにと、助けてくださいます。

聖書を開く時、そこに隠されている真理をみつけることができるように、また主が個人的に主が自分に与えたいと願っておられる言葉を悟ることができるよう、真理の御霊なる主を歓迎し、御霊の助けにより頼みましょう。

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(ヨハネ16:13a)

●心の貧しさを持つ

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(マタイ5:3)

心が肥え太り、鈍くなるなら、目があっても見えず、耳があっても聞こえない者となる、とイザヤ6:10、またマタイ13:15で語られています。

「主よ、私を生かすいのちの御言葉が今日も必要です。みことばなるイエス様、あなたが今日も必要です。」そのような心の貧しさ、飢え渇く心と告白をもって、みことばを開いていきましょう。

この世の何かでお腹がいっぱいになると、心が肥えてしまう時があります。この地上のものは一時的に大きな満足を与えますが、それは永遠には続かず、むしろ後にやってくるのは虚しさです。心の貧しさを覚えない時は、心を肥えさせてしまい一時的な満足を与える何かから自分を離す必要があるかも知れません。

●神のことばに立ち返る(悔い改める)
私たちの罪の性質、肉の性質は絶えず神のまっすぐな義の道からそれてしまいます。みことばを読む時に、私たちは神の子としての生き方、神の道に立ち返ることを常としましょう。

●忍耐をもつ
今日、私たちは感情をゆすぶり、知性をくすぐる刺激的な教えにあまりにも慣れすぎて、シンプルで微かな主の御声を聞くことに対して忍耐を失いつつあるように感じます。

すでに聞いたことある教え、すでに知っている(と思っている)真理に関しては(あたかもそれがすでに実践できているかのように)「ああ、この教えはもう聞いた。」と通り過ごしてしまうのです。みことばを読んでいる時も「ここはもう何度も読んだストーリーだから」とスルーしていまいます。

自分自身の証しですが、そのように通り過ごしてしまいそうになる御言葉に忍耐をもって留まっていたら、1節と1節の間に神の偉大な語りかけが潜んでいて、御霊の助けによってそこにおられる真理なるお方との遭遇し、圧倒され、ただひれ伏すしか出来なくなることがあります。1節1節の間から、神の愛の御うでが私を引き寄せ、涙が出ることもあります。

現代に生きる私たちは、シャカシャカと振って逆さにすると出てくるおみくじのように、聖書をひらいたら一瞬で心を揺するような御言葉に遭遇することを期待してしまうことがあるかも知れません。
けれども、誰かと知り合って深い信頼関係を築くまでに時間がかかるのと同じように、私たちも父なる神の御思い、主が私たちのために建ててくださっているご計画、また主が御心に抱かれている願いを知るには時間が必要であることを覚えましょう。

時間をかけて、御言葉を心に刻み続ける必要があります。主の教えを口ずさみ続け、心の畑に、御言葉の種を巻き続ける習慣、日々、御言葉を読み続ける習慣が必要です。

■A:考えてみよう
誰かの受け取った悟りは、あくまでも誰かのものなので、消えてしまうことがほとんどです。
けれども、自分と神様との関係で受け取ったものは、自分の心に刻まれ、誰かに奪われることもありません。

今日、主がお一人おひとりに語りかけてくださっている個人的なメッセージを、主との個人的な関係の中で受け取っていきましょう。
今日、真理の御霊が臨んでくださり、お一人おひとりが御言葉なる主にお会いすることが出来ますことを祝福します!!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

カテゴリー: マナメール

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