■S:今日の聖書の言葉

テサロニケ人への手紙 第二 2章16-17節(雅歌3章)

★ どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。

■O:今日のコラム

私たちの父なる神様は、どのようなお方でしょう?

今日の聖句も、神様がどのような方か、その一部分ですが、大切なことを、教えてくれています。それは、「神様は、私たちを愛してくださった方。」です。

私たちは時々、神様の愛を受けるためには、良い行いをしなければいけない、と勘違いしてしまいます。事実は、神様は、もう、先に愛してくださっているのです。

聖書には、信仰から出ていないことはすべて罪だ、と書いてあります。(ローマ人への手紙14章23節)
私たちは皆、信仰から出ていないことを、何かしら、してしまいました。そのために、私たちの心に罪責感や恐れが起こり、神様の愛がわからなくなってしまいました。

愛の源である神様から愛を受けられなくなると、人を本当に愛することができなくなります。愛したい人、愛すべき人を、ねたんだり、うらやんだり、憎んだり、赦さなかったり、比べたり、無視したり、さげすんだり、疑ったり、批判したり、なじったり、傷つけたりしてしまうのは、そのためです。

また、愛の源である神様から愛を受けられなくなると、他の間違った場所に、愛を求めてしまいます。その「間違った場所」というのは、結婚関係以外の異性との性的な関係や、麻薬やお酒、仕事などの中毒や依存症がそうだそうです。 (レーマ聖書学院9月のトピ先生の講義より)

もうすでに愛してくださっている神様のその愛を、自分のものとして受け取る方法は、「悔い改め」と「信仰」です。

「悔い改め」とは、自分の道から方向転換して、神様の方へ向かう、ということです。
罪を処理・解決してから神様のところへ行くのではなく、まず神様のところへ帰る、ということです。

だからといって、ずっと罪を犯し続けたままでいい、という意味ではありません。まず神様のところに行って、神様と一緒に、問題を解決するのです。

イエス・キリストの十字架の身代わりの死によって、自分は聖められ、神様の子どもとされたことを信じて、子どもとして、神様に相談します。すると神様は答えてくださいます。

神様に赦された。愛されている。だから、その愛に応えたいので、「あらゆる良いわざとことばとに進」みたくなるのです。

■A: 考えてみよう

私は神様に愛されている!と確信しているだろうか?

もし、神様の愛を受け取れていないなら、イエス・キリストという門を通って、愛をもって待っていてくださる神様のもとに走って行こう。飛び込んで行こう。そして、「神様と私との間に壁となっているものがあれば、示して、取り除いてください!」と祈ろう。

■P:祈り

主よ。あなたのもとに今行きます。もし、あなたに喜ばれないもの、あなたと私の間に壁があるなら、それを示してください。それを手放すことができるよう、助けてください。手放します。

傷があるなら、癒してください。癒されます。束縛されているなら、断ち切ってください。断ち切り、解放されます。

主よ、あなたの愛で、私の心を満たしてください。その愛をもって、あなたの愛にこたえ、隣人を愛していきます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 とも子 】

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