■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二18章18節
★アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。
■O:今日のコラム
以前イスラエルに行った時に、今日の御言葉の箇所にある「アブシャロムの記念碑(お墓)」に行きました。私にとって、最も印象に残る場所でした。
ケデロンの谷に降りて行き、この記念碑(お墓)の前で「私たちの内から孤児の心が取り除かれるように」と牧師先生が祈りを導いてくださいました。
アブシャロムはダビデの息子です。本当に美しく、麗しい、王の子ども、王子でした。しかし、父ダビデの無関心のゆえに「父に認められたい」「父に愛されたい」その願いがいつも、彼の中にはありました。
アブシャロムは兄弟を殺し、ついには父ダビデをも殺そうと反逆します。彼の内にあった「孤児の霊」「孤児の心」が、本来歩むべき道からアブシャロムを遠ざけてしまったのです。
彼は生きている間、「誰か自分のことを覚えていてほしい」その願いからこの記念碑を建てました。
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」(マタイ3:17)
これは私にとって、本当に大切な御言葉です。朝起きる時、道を歩く時、働きをする時、寝る前、あらゆる時間にこの御言葉を自分自身の魂に教えます。
父からの承認、創造主の真の評価が、私の心を満たし、私の魂を守ってくださるからです。
アブシャロムの墓は、エルサレムの深い谷にあります。私たちの心もエルサレムと同じです。私たちの内なるエルサレム、その一番深い所には「アブシャロムの墓」「孤児の心、孤児のスピリット」があるのです。
今日という日に一度立ち止まり、自分の魂を見つめる時、私たちの魂を満たしているものはなんでしょうか。心の深くにあるものは「拒絶感」でしょうか。変わることのない「主の完全な愛」でしょうか。
私たちの毎日の歩みが、神様の愛に満たされ、変わることのない御言葉の約束に信頼し、神様の完全な愛を土台する歩みでありますように。
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」(ヨハネ14:18)
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」(1ヨハネ4:18)
今日も十字架の贖いを通して御言葉を朗読する時、聖霊様を通して、真の父の愛を知ることができますように。
天のお父さんの心と一つとなり、父の心を受けて、父の心を表して生きるものとなりたいと心から願います。
「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:6)
■A:考えてみよう
下記の御言葉を朗読し、黙想しましょう。御言葉に基づいた信仰が、今日一日、私たちの心と思いを満たしますように。
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」(マタイ3:17)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 こばあい 】
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