■S:今日の聖書の言葉
テサロニケ人への手紙 第一 5章1、11節 (伝道者の書10章)
★ 1 テサ5:1 兄弟たち。それらが(主の再臨)いつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たち書いてもらう必要はありません。★ 1テサ5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
■O:今日のコラム
皆さんは災害用のバッグなどの備えがあるでしょうか?
我が家には恥ずかしいですが、きちんとしたバッグはなく、気休め程度のしょぼい小さなバッグ一つがあるだけです。とても家族全員分に備えてあるとは言いがたいです…
都心でも大地震があると言われると、気持ちとしては、私はそれがいつごろなのかを知りたいと思います。でも実は、「その時期」を知りたいと思うのは、自分に備えが無いからなのです。時期さえ分かれば、それに間に合うように準備を始めたらいいや、という気持ちがどこかにあるのです。
パウロはここで、「霊的に目を覚まし、神の光の子として歩んでいるのなら、備えがあるから、主の再臨がいつかなどと明確に知らなくても大丈夫ですよね。」 と言いたかったように感じます。
「マラナタ〜主よ来て下さい」 と賛美しつつも、主が来られる時になって 「主よ、準備がまだなので、もうちょっと待って下さい。」 と言わなくていいように、私たちも目を覚まし、いつも喜び、絶え間なく祈り、すべてのことに感謝しましょう。
また、11節の 「互いに徳を高め合う」 は、別訳では 「お互いの向上に心がけなさい」 とあります。向上とは、現状にとどまらずその先、または上を目指すことです。
自分の信仰生活においても、礼拝においても、「今のままで大丈夫」という現状維持ではなく、互いに更に主への高みを目指す者となりましょう。ますます、みことばに親しみ、ますます祈り、ますます賛美し、ますます主に飢え渇く者となりましょう。それこそが、最善の備えです。
■A:考えてみよう
自分の備えはどうだろうか?
主は私たちが、主の再臨を恐れながら待つ者ではなく、愛する方との再会を恋い焦がれる、そのような思いで待つ者であって欲しいと願っておられます。主御自身への飢え渇きが増し加わるように、聖霊様に求めてゆこう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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