■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二16章10節
★王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからだ。
■O:今日のコラム
都落ちしてゆくダビデをののしり、「血まみれの男、よこしまな者。」といって執拗に石を投げつけてくる者がいました。サウル家の一族のひとりでシムイという人でした。そこには、サウル家の一族としてサウル王から、ダビデ王となったことへの恨み、妬みが根本にあったからなんです。
しかし、この呪いの内容は事実に基づいているものではありませんでした。ダビデはサウルの家の血を流したことはなかったんです。
「そこで王はサウルのしもべツィバを呼び寄せて言った。『サウルと、その一家の所有になっていた物をみな、私はあなたの主人の子に与えた。』」(2サムエル9:9)にあるように、ダビデは残されたヨナタンの子に全部相続させているんです。
ダビデは決してサウルを攻撃したことはなく、むしろサウルがダビデを妬んで命を狙っていたんです。ダビデは神が油注がれた王に自ら手をくだすことはできないと言って、ひたすら逃げたのです。
また、サウル王に対しても、滅ぼそうとしたことは一度もありませんでした。
ダビデを呪いながらついてくるシムイに、ツェルヤの子アビシャイが「あの首をはねさせてください。」そのように言うのですが、ダビデはそれを許しませんでした。
それは、「主がシムイにそうさせておられるんだ。」と受け取ったからだと信じます。シムイの呪いの言葉を受けることで、ダビデは自分の罪の痛みを感じ、主の前に低い者とされていきました。そして、それと同時に、このことを通して主が報いてくださるという希望を持っていたのではないでしょうか。
ダビデは、神の国に入るには多くの苦難を通らなければならないことを知っていたと信じます。私たちもこのような時、主の摂理に身を委ねて歩んで行こうではありませんか。
■A:考えてみよう
コロナ禍にあって、私たちの周りで人を攻撃したり傷つけたりする風評がある中、ダビデが示しているように裁きは主に委ねて常に感謝をもって主と共に歩んでいきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 てる 】
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