■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二9章1節
★ダビデは言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」
■O:今日のコラム
シャバットシャローム!!主の安息を感謝します。
安息を与えられた時、何を求めるのか?
ダビデはあらゆる戦いに打ち勝っていき、安息を得た時に二つのことを願いました。
一つは、主が住まわれる宮を建てること、そしてもう一つはサウロの家の者に恵みを施したいということでした。ダビデは第一の戒めだけでなく第二の戒めも忘れてはいませんでした。
契約の神
私たちの神様は契約の神様です。契約を結んだ者はその契約と守りの中に入ると同時に契約を守るものでなければなりません。ダビデは何故に敵であったサウルの家の生き残りに恵みを施したのでしょうか?
「ヨナタンのために」(2サムエル9:1)とあります。
ダビデはジブが王になる前にヨナタンと契約を結んでいました。ヨナタンは第一サムエルの中でこのように言っています。
『あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず立ち滅ぼすときも。』(第一サムエル20:15)
ダビデはこの契約を忘れてはいませんでした。たとえ攻撃して来る王の子であっても、またその子孫であってもダビデは契約に立つものでした。
ダビデの心にあったものは主を愛すること、隣人を愛することでした。たとえ自分の状況が不利な状況になったとしても、ダビデは契約の完全さを握っていました。
私たちは、気分や状況で物事を考える時代に生きています。損になったら切り捨てる。気分が乗らなかったら実行しない。神様は私たちにはそのようなお方ではありません。
イエス様自身が大損をしてまでも完全な契約を約束してくださいました。私たちは神様と契約の関係があるので神の民と呼ばれ、その相続に預かる者となりました。そこには契約のために代価が支払われたからです。これは、ただただ恵みであります。
神の心とは?
神様の願っていることはなんでしょうか?第一の戒め第二の戒めです。ただし、簡単に守れるようなものではありません。しかし、神様がまず私たちを愛して、代価を払ってくださったことを覚える時、どちらの選択をするでしょうか?不満や敵対心を持ち続けるのか。愛さないを選択するのか。その反対か。
神の民として新しく生まれたのであれば、神の民のルールを守る者でありたいです。私たちは子どものままでなく、霊的にも大人として成長する必要があります。
ダビデは神様を愛している者と同時に隣人を愛する者でした。時には感情的に情熱があって愛していたことでしょう。しかしそうでない時にも、契約の完全さを知って、神と人との約束を守りました。契約は第一に神と結ばれているからです。
もちろん!第二サムエルのストーリーでは、ダビデはヨナタンの子孫を心から愛していたと見受けられます。心からその恵みを施したいと願っていたことでしょう。ダビデは本当に隣人を熱く愛していました。
■A:考えてみよう
私たちは、神様とどのような契約を結んだ民でしょうか?
私たちが子どもから大人に成長するために何が必要ですか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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