■S:今日の聖書の言葉
テサロニケ人への手紙第一3章4節
★あなたがたのところにいたとき、私たちは苦難に会うようになる、と前もって言っておいたのですが、それが、ご承知のとおり、はたして事実となったのです。
■O:今日のコラム
今日の聖書箇所には、私たちは苦難に会うことが定められていると書かれています。ここで使われている「苦難」ということばを原語で調べていると、衝撃的な御言葉を発見してしまいました。
「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言った。」(使徒14:22)
私たちが神の国に入るためには、多くの苦しみを通らなければならないと断言されています。苦難を避けることはできないようです。
では主はどうして苦難を通らせるのでしょうか。それは、私たちがイエス様以外のものを自分の土台・自分の力としてしまうからです。
私たちが苦難に会うとき、自分がそれまで何に信頼して歩んできたのかが明らかにされます。
「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。」(箴言24:10)
「また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」(マタイ13:20-21)
苦難に会うたびに、私たちが持つ間違った信仰や信頼が明らかにされ、矯正されていきます。本当にイエス様に信頼していて、約束を握っているならば、何か問題が起きても気落ちしたり、フラストレーションを抱くことはないはずです。
しかし、実際には私たちはいちいち気落ちし、フラストレーションを感じてしまいます。では私たちは苦難の中で何をするべきなのでしょうか。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」(ヘブル12:2−3)
この御言葉に書かれてあるように、イエス様を見上げる必要があります。私たちが信仰をおくべきものがイエス様だからです。自分の内側にイエス様以外のよりどころを見つけるとき、ひとつひとつイエス様の御前で告白し、それを取り去っていただきましょう。
■A:考えてみよう
揺り動かしが起こるのは、不要なものが取り除けられ、残るべきものだけが残されるためです。揺り動かしの中にあるとき、自分が手放さなければならないものは何か、自分が掴み続けなければならないものは何か、祈り求めてみましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 けいしろう 】
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