■S:今日の聖書の言葉
テサロニケ人への手紙第一2章7節
★それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。
同11〜12節
★また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。
■O:今日のコラム
私たちの信仰の旅路において、主から与えられた重要な課題の一つが霊的は成熟を目指していくことです。霊的な成熟と同じ意味を持つ言葉としては「救いの達成(ピリピ2:12)」、「完全におとなになる(エペソ4:13)」、「成人(ピリピ3:15)、「おとな(ヘブル5:14)」、「熟練した者(2テモテ2:15)、などがあります。
肉体的にも子こどもから大人へと成長していくように、精神的、霊的にも「子ども」であることから「おとな」へと成熟することを願い求め、それを目指すことが必要です。「子ども」の特徴の一つに「自己中心」という性質があります。それは肉のままの人間の姿であり、私たち皆が持つ、生まれながらの性質です。
主は私たちが霊的な幼子の状態から成熟するように愛を持って訓練をして下さいます。
「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」(箴言22:15)
「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:10〜11)
霊的な子どもの状態に留まるなら絶えず私たちは自己にフォーカスを充て、「私の傷、私の不満、私の満たし、私の必要、私、私、私」と自分のことばかりを追い求めてしまいます。しかし、霊的に成熟していく過程において徐々に自己から解放され「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒20:35)というように人々の必要を満たす為に自分を主の前に捧げるようになっていきます。
パウロはテサロニケの教会に宛てた手紙の中で、彼の大切な牧会哲学を語っています。それは霊的な父・母となることです。親が子どもの成長を喜びとし、願うように、霊的な父・母は、関わる人々がイエス様を愛し、いつも満たされ、祝福され、建て上げられ、成熟して行くことを願い、その為に自分を費やすようになります。
リーダーは自分の下に人々がいることを願いますが、霊的な父・母は自分を超えて人々が偉大に成長していくことを願うようになるのです。それがイエス様の心です。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネの福音書14:12)
私は未熟な者ですが若い時から祈り求めていることがあります。それは「日本の次の世代の聖徒たちにとって、彼らが主の道を真っ直ぐに走って行くこと出来るように、彼らを愛し、仕える霊的な父として下さい。」という祈りです。主は必ずその祈りに答えて下さると信じます。私たちは共に霊的成熟を目指して歩んで参りましょう。
■A:考えてみよう
霊的成熟、霊的な父となり母となることを願って祈り求めましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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