■S:今日の聖書の言葉
詩篇128篇1節

★幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。

■O:今日のコラム
見えないウイルス、病や死、災い。暗闇が覆っているようなこの時代にあって「私が恐れているもの」は何か、心探られました。今日のみことばの箇所には「主を恐れ、主の道を歩む者」に対して「幸いなことよ」と呼びかけられています。

私たちが主を恐れる理由の一つとして、それは、あまりにも主の愛が素晴らしく、偉大で、私たち一人一人に対する主の恵みとあわれみが溢れているがゆえであることを覚えます。

「主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。」(詩篇130:3~4)

「御子の命が捧げられるほどに、私は天の父に愛されている神の子である」という確信、主との愛の関係、この土台がなければ、私たちは間違った神様に対する恐れ、イメージを持ってしまいます。真に主を恐れる者とは、主がどのようなお方であるかを知っている者です。

「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」(箴言9:10)

主は、主を敬い尊ぶ者たちを愛され、ご自身を恐れる者たちの話す会話を聞き、記憶の書を記されます。

「・・・わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」(1サムエル2:30)

「そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。」(マラキ3:16)

それでは、主を恐れて生きるとは具体的にどういうことでしょうか。それは「御言葉を愛する歩み」です。

「主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。--主の御告げ--わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」(イザヤ66:1~2)

主が目を留められるのは「へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者」とあります。
揺り動かされ、試される時にこそ、私が何に信頼し、より頼んでいたのかが明らかにされます。

「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。」(箴言15:16)

この御言葉にあるように、財宝や持ち物を多く持っていたとしても、恐れが人生の中に取り巻いていたら幸せでしょうか?
主を恐れ、主の御言葉に信頼する者の歩みは決して揺り動かされることがなく、どのような状況の中にあっても、奪われることのない喜び、平安、希望があります。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」(伝道者の書12:13~14)

■A:考えてみよう
今一度、心新たにして、祈りと御言葉の生活に取り組んでいきましょう。頑張るというよりも、主が愛してくださった愛ゆえに、主を愛するがゆえに、この歩みを尊び、大切にしていきましょう。

御言葉のあるところにとどまられる聖霊様は「主を恐れる霊」です。このお方を歓迎し、今日も御言葉なるイエス様を知ることを求めていきましょう。

心と思い、口の言葉と生き方が、御言葉なるイエス様と一つとされますように。

「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、」(イザヤ11:1~3)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 こばあい 】

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