■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一19章20〜24節

★そこでサウルはダビデを捕らえようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。
サウルにこのことが知らされたとき、彼はほかの使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。サウルはさらに三度目の使者たちを送ったが、彼らもまた、預言した。
そこでサウル自身もまたラマへ行った。彼はセクにある大きな井戸まで来たとき、「サムエルとダビデはどこにいるか」と尋ねた。すると、「今、ラマのナヨテにいます」と言われた。
サウルはそこからラマのナヨテへ出て行ったが、彼にも神の霊が臨み、彼は預言しながら歩いて、ラマのナヨテに着いた。
彼もまた着物を脱いで、サムエルの前で預言し、一昼夜の間、裸のまま倒れていた。このために、「サウルもまた、預言者のひとりなのか」と言われるようになった。

■O:今日のコラム
サウルはダビデを殺そうと必死でした。しかしサウルが送り出した使者たちは、ことごとく御霊に満たされ預言をしました。預言者の一団の聖霊の炎が使者たちに飛び火したのです。

サムエルの監督している預言者の一団は御霊によって祈り、霊に燃え主に仕えていました。御霊の炎は一人で燃やすよりも大勢が心を一つにして祈る中で大きく燃え上がります。まるで多くの木の枝が火にくべられるなら一本の枝が燃え上がるより遥かに大きな炎となるかのようにです。

私たちは、一人ひとりが祈りの家となるべきですが、大勢が集まって祈ることにも大きな意義があります。そうすることによって聖霊の炎は大きく燃え上がり、消えかかっている小さな火が激しく燃え上がるようになることがあります。

火が消えかかるどころか、サウルに至っては殺害の意に燃えていたのですが、その悪意の炎は消え、御霊の炎が燃え上がったのです。

理想的なのは、自分自身が一人でも主にあって燃え上がることができ、人々にその火を分け与えることができることです。サムエルの監督する集団は火を分け与えることができる礼拝者の集団だったのです。

時には大勢の祈りの中に飛び込んでいき、火をつけてもらいましょう。そして自分自身で主にあって奮い立って燃え続けることができることを目指しましょう。

御霊の炎に燃やされたサウルが王服を脱いで裸になり、裸のまま倒れていたように、私たちも同じ御霊の炎に燃やされて、プライドを脱ぎ捨て、横たわって自分の体を完全に委ねる、力強い信頼を持った礼拝者として御前に仕えることができるのです。

またアダムが裸で横たわっている時に、妻であるエバが造られた(ヘブル語ではバナー、建て上げるの意)ように、御霊に満たされて自分を平安の中で委ねる中で、私たちがキリストの花嫁として建て上げられていくのです。

■A:考えてみよう
御霊に満たされるために、異言を用いて祈りましょう。時には集団で異言で祈る場に出ていきましょう。御言葉の朗読と御霊による祈りは、私たちを花嫁として建て上げることを信じます。

■P:祈り
殺意に燃えたサウルを解放し、プライドを捨てさせ、恥を取り去り、平安を与えられた御霊なる主を褒め称えます。同じ御霊によって、私も解放され、キリストの花嫁として建て上げられることを願い求めます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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