■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一10章21,22節

★それでベニヤミンの部族を、その氏族ごとに近づけたところ、マテリの氏族が取り分けられ、そしてキシュの子サウルが取り分けられた。そこで人々はサウルを捜したが、見つからなかった。
それで人々がまた、主に、「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。主は、「見よ。彼は荷物の間に隠れている」と言われた。

■O:今日のコラム
私は小さい頃、母に連れられてバイオリンのレッスンに通っていました。まだ、3歳~4歳の頃でしたが、暖かく良い香りのする先生の部屋と老婦人である先生の柔らかい声や自分の退屈なバイオリンの音に誘われて、レッスン中、バイオリンを弾きながらしょっちゅうウトウトしていました。恥ずかしながら先生に「〇〇さん、〇〇さん、起きてください。」と言われるのが常でした。。。

母には「あなた、体力がないのね。」と言われ、それ以来レッスン中の居眠り防止のために、レッスンに行く前に必ず昼寝をさせられるようになりました。

そのような習慣から、長い間「自分は体力のない人間。だから集中力も続かない。」と信じて生きてきました。
大人になったある時、朝一番から夜遅くまで続くレコーディングがありました。他のメンバーは歌を録って終わりでしたが、自分は歌の後に、バイオリンのレコーディングも続き、一日中、緊張の続く作業でした。終わる頃に、あるメンバーに「すごい体力と集中力ですね。」と言われ、「え?誰のこと?私?」と心底驚きました。

「体力がない」と思って生きてきた自分でしたが、その時から意識が変わり、今まで自分には出来ないと思っていた徹夜の祈りや長時間に及ぶ仕事にも臨めるようになりました。(長々と自分の話ばかりですみません。)

サウルはベニヤミン族の者で、サムエル記に記されてあるように容姿端麗な青年でした。サウルの出身の部族である「ベニヤミン」とは「右手の息子」という意味であり、「右の手」は力を意味します。また、「サウル」とは「望まれた、望み通りの」という意味があります。

サウルは、神の導きによって王として選び出され、すでにサムエルから王としての油注ぎを受けていたにも関わらず、実際、人々の前に出るという時になって、逃げ隠れてしまいました。容姿端麗で、出身も名前も王として申し分のないような者に見えるサウルでしたのに。なぜでしょうか?

それは彼が『自分をどのように見ていたか』ということに原因があります。サウルは自分のことを以下のように思っていました。

「サウルは答えて言った。『私はイスラエルの部族のうちの最も小さいベニヤミン人ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、つまらないものではありませんか。どうしてあなたはこのようなことを私に言われるのですか。』(第一サムエル9:21)

彼は、自分の出身を「小さい」「つまらない」と語りました。原語においては「無意味な、重要でない、毛嫌いされる」などという、とても否定的な意味です。

講壇でもよく語られていますが、これは、謙遜に見せかけた大きな高ぶりであり、またこれは「偽りを信じている」とも言えるのではないかと思います。

容姿端麗であり、「力の息子」部族の出身、「望み通り」という名をもっていたにも関わらず、サウルは自分のことを「つまらない、無意味な者」と低く否定的に見るように育ってしまったのです。

このような、自分に対する低い意識は、この後、彼をあらゆる失敗へと導いていきました。

皆さんは自分自身を「どのような出身の何者である」と信じているでしょうか?聖書は私たちのことを「王家の出身、神の祭司」であると言っています。(1ペテロ2:9)

もしサウルのように自分を「つまらない、毛嫌いされた部族の出身」と信じて生きてきたなら、今日、意識の変革が必要です。私たちの信じてきた「偽り」をまず見抜く必要があります。御霊の助けによる「気づき、悟り」が必要です。

気づいたのなら、次は日々の鍛錬です。一日にしては出来ません。肉体改造は日々の積み重ねによって達成できるように(これに関して、詳しくは是非、慎悟先生まで!)、自分の内側で「自分はつまらない者」という偽りが頭をもたげる度に、たといどんなに長い年月がかかってたとしても、毎日、私たちは自分のたましいに真実を教え聞かせる必要があるのです。

自分の内にある偽りに気付き、それを暴き、思いが新しくされるなら、私たちの生き方は変わります。それは、ずっとかけ続けていた真っ黒なサングラスを外して、世の中を見るような変化でしょう。神が造ってくださった私たちは、本当に素晴らしく美しいのです。

偽りのサングラスを外して互いを見ることができるのならば、自分も相手も神の最高傑作なのです。私自身も、自分がかけているであろう何層にもわたるこのような愚かで虚しい偽りのサングラスを、早くすべて取り払いたい、と切に願い求めています。

■A:考えてみよう
私たちはどのようにして、自分の内側の偽りに気づくことができるでしょうか?また、どのようにして、自分のたましいに真実を教え聞かせることができるでしょうか?

それは血と水と御霊です。つまり御言葉の朗読と御霊による祈り、また血潮の宣言です。
御言葉を朗読し、そこに記されている本来の自分の身分を知ります。

御霊の助けによって、御言葉とかけ離れている偽りの自分に気づかせていただきます。
血潮の力により頼み、血潮の力を信仰をおいて宣言することを通して、自分の内側の偽りを真理へと塗り替えることができます。

みことばの洗い、血潮のきよめ、御霊の更新によって、私たちは日々、本来の姿を回復していきたいと願います!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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