■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一5章4節

★次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。

■O:今日のコラム
今日の通読箇所である1サムエル5~6章では、ペリシテ人の主神であったダゴンの神像が繰り返し倒されたり、主の御手により様々な災いが起こりました。その他にも、聖書を読むと主の御手によって、目に見えて実際的に、信じられないような事、人にはできない業がなされてたことを沢山読むことができます。災いも、祝福も、勝利や敗北、癒し、解放、奇跡、救い…など数えきれないほどのことが、すべてを治めておられる全治全能の神である主の御手によってなされてきました。

そして、今日も主は変わらず全治全能の神であり、すべてをすべ治めておられる唯一の神であり、今日も力強く生きて働かれる神様です。信じられないようなことも、人には不可能なことも、私たちの主であられる神様にできないことは何もありません。

しかし、私たちはどれくらい、そのことを”現実”として考えて歩んでいるでしょうか?頭ではわかっていても、目の前に起きている様々な問題や状況の方を見て、主のご性質やみことばの約束よりも、問題や状況の方が現実、真実なこととして受け止めてしまうことがないでしょうか?

起こっている事実を認めることは大事なことですが、天に国籍がある私たちは、目に見えることよりも、御国の現実に生きること、主と主のみことばの現実に生きることが大切です。

目に見えない主やまだ見てない主の約束よりも、目に見えることを現実としてしまうならば、主や主の約束よりも、目に見ている状況や問題に信仰をおいてしまう場合があります。

そうするならば、状況や問題が変わらないと、神様にはできないことはないのにもかかわらず、主の御業は起こらないかもしれない、このまま状況は変わらないかもしれないと思ってしまうかもしれません。主の御約束は変わらないと分かっていても、問題や状況によって恐れや心配、不信仰や落ち込みの思いを持ってしまうかもしれません。目の前にある”山”に動けと言っても、すぐに動かないことを見てしまうと、動かないことを現実としてしまい、疲れや不信仰の思いによって、前に進むことが難しく感じてしまうことがあるかもしれません。

しかし、神様は私たちが経験している以上に、私たちが思う以上に、偉大なお方、すべてをすべ収めておられるお方、力強く、全知全能のお方であること、神様にできないことなど何もないことを今年の1年も覚えて、主に目を留めて歩む者でありたいと願います。

目の前に起きている状況や問題の事実よりも、主の変わらないご性質と主のみことばの約束を現実として受け止めて歩む者となりたいと願います。天に国籍がある者として、御国の民として、神の子として、御国にある現実を、この地においても現実として歩む者となりたいと願います。

自分が思うこと、自分が感じること、肉の目で見えることよりも、みことばの約束と、みことばに書かれた主のご性質、みことばに書かれた自分の身分を現実として歩む者になりたいと願います。

私たちの思いを遥かに超えて偉大なお方、すべてを治めておられる全治全能の神様が、いつも私たちと共にいてくださり、いつも私たちを助け、支え、導いてくださることに信頼し、主に希望と信仰を置いて歩んでいくことができますように。

■A:考えてみよう
今年の1年も、今日の1日も、目に目えることではなく、主と主のみことばに目を留めて、主と主のみことばに信仰を置くことができますように。

主のみことばの約束を、主の変わらないご性質、主の変わらない愛と恵みを、どんなことよりも現実である、真実であると受け止めて、歩むことができますように。

今年の1年も、今日の1日も、問題や状況の事実よりもはるかに現実である、主と主のみことばに目を留めて、主とともに前進していくことができますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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