■S:今日の聖書の言葉
詩篇119篇11節

★あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。

■O:今日のコラム
詩篇119篇は読むたびに御言葉を愛する心が新しくされる、大好きな箇所の一つです。詩篇119篇を通して、御言葉を愛する心が増し加えられますように!

さて、今日の聖書の言葉では、御言葉を心にたくわえることが記されています。この箇所を読むたびに、罪を犯さないようにするためには御言葉を心にたくわえることが大事だから、「御言葉をたくさん読んで覚えよう!」という思いがわたしにはいつもありました。

もちろん、御言葉を何度も読み、覚えることはとても大切なことです。ただ、今日は違う角度からこの箇所を見ていきたいと思います。それは、「心にたくわえる」とはどういうことかということです。

イエス様は律法学者とパリサイ人に対してこのように言われました。

「わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。」(ヨハネ8:39)

律法学者やパリサイ人は、律法を何度も何度も朗読し、暗唱し、研究して、それを守り行っていました。しかし律法を愛する彼らに、イエス様は「主の御言葉があなたがたのうちにとどまっていない」と言われたのです。別の箇所においても、イエス様は彼らにあなたがたは律法を守っていませんと言っています。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか?それは御言葉を正しく聞くことができていないからです。

「あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」(ヨハネ8:43)

つまり、私たちがどれほど御言葉を朗読し、暗唱し、それを守り行っていたとしても、正しく御言葉を聞くことができなければ、イエス様のことばが心の中に蓄えられていないことになるのです。

ですから、私たちは御言葉を何度も何度も読む中で、イエス様の御言葉を正しく聞かなくてはいけません。律法学者やパリサイ人のように自分に都合の良い解釈や文字通りの解釈ではなく、生きた神のことばであるレーマとして受け取ることにより、それが自分の内側に蓄えられるのではないでしょうか。主によって御言葉に対する覆いが取り除けられ、主の御言葉の本質を受け取り、それを心にたくわえていくことができますように。

「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、」(ルカ24:45)

「しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。」(2コリント3:14)

■A:考えてみよう
詩篇119篇の作者は、祭司であり学者であったエズラと言われています。エズラも律法学者と同じように御言葉を何度も朗読し、暗唱し、それを守り行おうとしていました。

では、エズラと律法学者との違いは何になるのでしょうか?
それは悟りを求めていたかどうかではないでしょうか。詩篇119篇では、何度も主の言葉を悟らせてくださいという祈りが出てきます。私たちの中にそのような、主の御言葉を悟りたい、主の御言葉を正しく受け取りたいという心が増し加えられますように。

「イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。」(マタイ15:10)

■P:祈り
主よ。今日もあなたの御言葉が与えられていることを心から感謝いたします。これは当たり前のことではなく、本当に主の恵みです。
私たちが今日も御言葉を読む時に、新しい心を与えてください。主によって心が開かれて、真に主の御言葉を聞くことができますように。生きた主の御言葉が自分の中に受肉し、それを行うことを通して、主からの本当の評価を受け取ることができますように。
自分の努力や頑張りではなく、知恵と啓示の御霊なる主が父の心へと導いてくださることを心から感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!

【 まこと 】

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