■S:今日の聖書の言葉
詩篇18篇24~26節

★これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。

■O:今日のコラム
詩篇は賛美であると同時に預言書でもあります。詩篇の中でメシアの到来と十字架の復活が数多くの箇所で宣言されており、イエス様も復活の後、トーラーと預言書と詩篇からご自分について記されていることを証しされました(ルカの福音書24:44)。また使徒たちはダビデのことを預言者だと言っています。

「兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。」(使徒の働き2:29~30)

このことを踏まえた上で、詩篇118篇は主イエスの初臨と再臨に関わるとても重要な預言書なのです。イエス様も十字架にかかられる前夜、ゲッセマネの園に向かう前にこの詩篇118篇を朗読して父なる神を褒め称えて賛美を捧げました。聖書にはこう記されています。

「そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。」(マルコの福音書14:26)

ユダヤ人たちは伝統的に現在に至るまで過越の食事の最後に詩篇118篇を朗読して主に感謝を捧げます。彼らは、今はまだイェシュア(イエス様)に対して心と目が開かれていなくても、過ぎ越しの食事毎に詩篇118篇を朗読して主イエスの訪れを宣言し続けているのです。必ず来たる日にユダヤ人の目が開かれ彼らがイェシュアを救い主として受け入れる日がやって来ます。

それは偉大な救いの日、大いなる喜びの日です。それなので詩篇118篇にはこう宣言されています。

「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(詩篇118:24)

もちろん一日一日は主が創造された麗しき日であり、今日という一日にも主の偉大なご計画があります。しかし、それと同時に聖書が限定して言っている「この日」とは、すなわち主イエスの再臨の日です。二千年前に主イエスがこの地に来られ、子ロバに乗ってエルサレムに入場された時もユダヤ人たちはシュロの枝を手にして詩篇118篇を引用して主イエスを褒め称えました。

「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」(マタイの福音書21:9)

詩篇118篇に記されている「ああ、主よ。どうぞ救ってください。」という言葉はヘブル語では「ホーシアンナー」です。これが「ホサナ」という言葉の原型です。「ホサナ」とは「今救ってください、どうぞ救ってください」という意味であり、主イエスを救い主として認め、主に救いを求める信仰告白なのです。

しかし、ユダヤ人が主イエスの救いを告白するようになる為には、これから多くの苦しみを経なければなりません。聖書に記されている終わりの時代のイスラエルに対する預言が、現在の世界情勢の中で次々と実現して行っています。今後イスラエルに起こる注目すべき預言の成就は「ゴグ、マゴグの戦い」(エゼキエル書38章)であり、また第三神殿の建設です(エゼキエル書40章以降、ダニエル書9:24~27)。

この第三神殿建設にあたってユダヤ人は反キリストに大いに欺かれ、最初はユダヤ人に有利な政策がとられますが、後に反キリストは第三神殿の中心に自分の王座を設け、自分を神として拝ませ、多くのユダヤ人たちが殺されて行きます。その困難と迫害の苦しみの中でユダヤ人たちはどこにも助けも、救いも無くなり、ついに二千年間彼らが拒絶し続けたイェシュアに向かい「ホーシアンナー(今救ってください)」と叫ぶのです。彼らの目が開かれる時、まさにイェシュアの十字架は自分たちの民族を贖い、救うためのものだったと悟り、彼らはまるで自分の愛する子を失ったが如く、嘆き悲しみ悔い改めます。

「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願(祈り)の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」(ゼカリヤ書12:10)

その時、ユダヤ人達はイェシュアに向かって声高らかに「バルハバ・ベッシェム・アドナイ(主の御名によって来る人に、祝福があるように。)」と叫びます。その時、主イエスが雲に乗って天から幾千万の聖徒たちを引き連れてエルサレムに戻って来られ、その足がオリーブ山についた時、山は裂かれ、エルサレム神殿の黄金門が開かれ、主イエスが王としてエルサレムの御座に着座して再臨が完了するのです。イエス様ご自身がユダヤ人に対してこう言っておられます。

「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主,の御名によって来られる方に。』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」(ルカ13:35)

このように詩篇118篇は主イエスの再臨に関わる驚くべき預言の書簡です。今年も年末になり一年の終わりが近づきました。この年の終わりに主に一つ一つの恵みを感謝すると同時に、この世の終わりの計画を見据えて、目を覚ましてこれからのシーズンを歩むことができるように祈り求めましょう。

2020年はコロナ禍の中で私たちの生活が激変しましたが、今年がまだ準備運動でしか無かったかのように2021年は激動の年となって行くでしょう。日々、主イエスの訪れを待ち望み、目を覚まして祈り備えましょう。

■A:考えてみよう
詩篇118篇を朗読し、主イエスの訪れを慕い求める心を持つことが出来るように祈り求めましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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