■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録12章11節
★兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
■O:今日のコラム
英語の聖書(KJV)で見ると、ここは面白い部分です。
“by the blood of the Lamb, and by the word of their testimony“
と、めちゃめちゃtheが多いのですが、実際はギリシャ語で見るとtheir testimonyの部分も正確にはthe testimony of them(そういう翻訳の聖書もあります)でさらにtheが増えます。
どんな血でも良いのではなく「その血」でなければなりません。どんな小羊でも良いのではなく「神の小羊」でなければなりません。
同じように、どんな言葉でも良いのではなく、どんな証でも良いのではないのです。御言葉に基づいた、キリストの十字架の血による贖いを証言する言葉が重要なのです。
キリストの血潮の12の宣言はまさにこのことに当てはまる宣言です。私たちは毎日この12の宣言を告白しましょう!
私たちは赦されたことを知っている、贖われたことを知っている、良心がきよめられ、平安が与えられたことを知っている、もう十分だと思ってしまうことがありますが、実は完全にはこの告白を自分の物として受け取り切れていない部分があるはずです。
だから実際に12の宣言を繰り返す中で新しい悟りや解放を味わうことがあるのです。自分自身が聞くことでそれは自分の信仰に結びついていき、信仰をもって告白する中で御霊なる主は力強く働かれるのです。そうして私たちは圧倒的な勝利者となるのです。それはどのような困難な状況を迎えても、どのような犠牲を払ってでも、信仰をもって神を愛する存在となることです。
死に至るまでもいのちを惜しまなかったとありますが、それは自分に固執しないで、いのちさえも捧げて愛する姿なのです。まさにイエス様の十字架そのものです。
イエス様の十字架の贖いの血潮を告白する者は、いのちを捧げて愛してくださったイエス様の愛と恵みを十分に受けるが故に、犠牲を払ってでも神と人を愛する十字架の愛を表す者に変えられていくのです。
■A:考えてみよう
毎日、キリストの血潮の12の宣言を宣言しよう。
■P:祈り
イエス様の十字架のみわざを褒め称えます。今日も進み出てその血潮を受け取ります。その愛を受け取ります。その赦しを受け取ります。その恵みを。
あなたの愛に生きる者としてください。私は贖われてあなたの物です。自分を捨て、自分の十字架を負ってついていきます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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