■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録11章1節

★それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。

■O:今日のコラム
今日の箇所に「神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ」とありますが、私は、これまで大きさや人数を測るのだと思っていました。しかし、ここで使われている「測りざお」は、直訳では「葦」と書かれており、原語や他の聖書箇所を見るならば、尺度や基準を表す言葉であり、神の律法(トーラー)、御言葉を意味するということに気付かされました。

「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。」(イザヤ42:3)

この御言葉は、メシアであるイエス様が、折れてしまった神の律法(トーラー)を再び回復することを意味しています。すなわち、今日の箇所において、聖所、祭壇、そこで礼拝している人を、「測れ」と言われているのは、人間的な尺度や基準で測るということではなく、神の律法、御言葉によって測られる、回復されるということなのではないでしょうか。

教会があって、祈りの家や捧げられる礼拝があって、礼拝者がいても、それらの中心に御言葉がなければ、どうでしょう。たとえ、人間的な尺度や基準で素晴らしかったとしても、それはないに等しいのではないかと思います。(第1コリント13章で愛がなければ何の値打ちもないと語られているのと同じように。)

逆に、小さな教会や家庭、一つの楽器で礼拝していたり、誰も見えないところで一人で礼拝を捧げていても、その中心に御言葉があるなら、どうでしょう。主の目に、それは麗しく価値あるものとされるのではないでしょうか。

今年は、コロナによって、教会で礼拝することや、人々が集まって何かをすることが難しくなりました。このような出来事、揺り動かしを通して、私たちの土台、礼拝の本質がどこにあるのか、今一度探られたのではないかと思います。

私自身は、ちょうど出産のため、数ヶ月間、北海道の実家に帰省していましたが、緊急事態宣言も出され、ほとんどが家での礼拝でした。出産まですることがないので、ひたすら御言葉を読むか、外を散歩するかという生活でした。しかし、その生活の中において、毎朝ピアノ一つで、窓に向かって、賛美し礼拝していると、教会でワーシップリードや早天をしていた時とは違う、主の臨在の深さ、主との親密さを体験し、もっと主を愛したい!もっと主を礼拝したい!その飢え渇きが湧き溢れました。

礼拝の場も、礼拝者の歩みも、日々の生活にあるのだと思います。日々の生活の中に、いつも祈りと御言葉があるか、聖霊様との交わりがあるかが大切です。なぜなら、それらは教会内外に関わらず、私たちの生き方、歩みにあらわれてくるからです。何か特別な大きな働き、目に見える働きや奉仕以上に、その1日1日の生き方、歩みこそが、主を喜ばせる礼拝なのだと思います。

これからどのような時代になるのか、私たちは、ただ、主の御心がこの時代においてなされるように祈るとともに、与えられている今日という1日、最後まで礼拝者として立ち続けたいと願います。

主は礼拝者を求めておられます。それは、自分を礼拝してくれる人を求めているのではなく、御言葉によりご自身と心を一つにして、この地に神の国、神の心、御支配を解き放つ者を求めているからです。

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(第2歴代誌16:9a)

また、今日の黙示録11章では、神の御前で二十四人の長老たちが、ひれ伏し、礼拝して「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。」(ヨハネの黙示録11:17参照)と言っています。

礼拝者は、ワーシップを導けるとか、楽器が弾けるとかは関係ありません。皆が礼拝者として召されています。そして、礼拝者は、王であり祭司であり、先見者であり、主の心を行う者です。人数は関係なく、礼拝者がいるところに、主の主権と御支配があらわされることを覚えます。この時代において、私たちは最後まで礼拝者として堅く立ち続けていきましょう!

■A:考えてみよう
・今週1週間を振り返る中において、日々の歩みの中に祈りと御言葉の生活、聖霊様との交わりを持つことが出来たでしょうか。礼拝者として立ち続けるために、御霊により祈りと御言葉の生活を続けていきましょう。(ヨハネ4:23参照)

・コロナや取り巻く環境の変化の中にあって、自分自身の土台、本質がどこにあるか、今一度点検してみましょう。そして、1日1日の歩みの中で、どんな時も御霊により喜ぶ礼拝の歩みを選んでいきましょう。(ピリピ3:1〜3参照)

・今日それぞれが置かれた場所、教会、家庭、一人の時間や場所で捧げる礼拝を、主が喜んで受け取って下さり、そこにいる礼拝者たちを通して主の心があらわされ、主の主権と御支配がなされていきますように!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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