■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録8章1節
★小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。
■O:今日のコラム
みなさんは本当に静かな空間を体験したことがありますか?私は子どもの頃、田舎で育ちましたので、夜中などは本当に何も音がしないことを経験したことがあります。その時、どうなるか知っていますか?本当に「シ〜〜〜ン」って聞こえるんです。マンガは的確に静けさの音を表現しているなと感心したことがあります。
天では大軍勢が大声で神様をほめたたえています。しかし、子羊が七つの封印を解いたとき、半時間ばかり静けさがありました。この静けさは「完全なる静寂、沈黙」です。
静けさに関しての証をさせてください。以前、SHOPからはじめてリリースされた祈りの賛美のCDのレコーディングの最後の曲を録音しました。そのタイトルは「ヤハウェ」という賛美でした。
当時、まだ慣れていない私たちは無我夢中で神のお名前「ヤハウェ」を叫び続けました。ピアノの後奏が終わった後、私がレコーディングボタンの停止を押した瞬間、皆が安堵感から椅子から床に座り込みました。
その時、今まで聞こえていた時計の秒針の時を刻む音が消えました。外を走っている車の音が一切聞こえなくなりました。今までに味わったことのない感覚でした。聖なる恐れと、温かい愛が同時に押し寄せるような感覚でした。言葉でお伝えするのには限界があることが悩ましいほど、忘れられない体験です。
その間、誰も声を上げることができず、動く事ができない状態がどれくらい続いたか全くわかりません。完全に時間がなくなった瞬間でした。私は指を少し上げたままの状態だったのですが、息をしたら、そしてこの指を動かしたら、また、少しでも今の状態から変わってしまうならこの神様の臨在は去ってしまうのではないかと思われ、動くことができませんでした。
右も左もわからず、未熟ながらも全身全霊で取り組んだレコーディングに対する神様からの「よくやったね」というご褒美だったのではないかと思います。
喜び叫ぶ賛美も素晴らしいですが、この静けさの中で主に捧げる礼拝は特別なものです。だからといって、賛美の中ではじめから最後まで静かにしているというのは神様からの特別な強い促しがない限り、あまりおすすめできません。なぜなら、礼拝は受けるものではなく、捧げるものだからです。賛美を受けるにふさわしいお方はイエス様だけです。もちろん、賛美の中で励ましや癒やしを受け取ることもあるでしょうが、むしろ自分を捧げる中で、そのような経験をしていくことが私の体験では多かったことを覚えます。
さあ、では、みことばの中から静けさを見てみたいと思います。
「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。』しかし、あなたがたは、これを望まなかった。」(イザヤ30:15)
立ち返る、つまり悔い改め、主への方向転換をし、静かにすれば救われると書かれています。これは一体どういうことでしょうか。
「しかし悪者どもは、荒れ狂う海のようだ。静まることができず、水が海草と泥を吐き出すからである。」(イザヤ57:20)
悪者は静まる事ができないと書かれています。確かに、イタズラをした時、親の前では落ち着きがなくなる事があると思います。また、人の前に、また、神様の前に悪いことをしたなら、私たちの考えはいつも「ばれないかな?」と小さな頭でいろいろなことを計画したりすると思います。
つまり、私たちの思考は様々な言い訳をするために騒がしい状態になっているということができると思います。これを自分で静めることはできません。十字架の前に進み行き、神の愛を受け、自分の悪を認め、主の御前に告白するなら、私たちは安息を得ます。また、人を赦し、仲直りするなら心はやすらぎます。すなわち、私たちの思考が静かになります。
そうするなら、みことばの朗読においても、祈りにおいても、余計な事を考えることなく、ただ神様に集中できるでしょう。そして、いのちのことばであるみことばが神の権威あるみことばとして私たちの心に刻まれ、それによって私たちは生かされていきます。
■A:考えてみよう
自分は師走の忙しさに飲み込まれていないだろうか?
出エジプトの際、パロはイスラエルの民に重労働を課し、礼拝させないようにしました。忙しさはサタンの戦略のひとつです。忙しい時だからこそ、立ち止まり静かに神を見上げる時間を確保しましょう。おすすめは朝です。いつもより10分でも早く起き、その時間を主に捧げ、みことばを読み、祈り、そして静まる時間を持って新しい一日をはじめてみましょう。
もし、みことば無しに静まるなら、その思いは自分に向けられるでしょう。ですから、キリスト者の静まる礼拝はみことばを思い巡らすことに集中することと言えるでしょう。
みことばを読む時、祈る時、静まる時、しなければならないことが次々浮かんできて礼拝を妨げます。また、過去の失敗が何度も私たちの思いを支配します。これは主が支配されている時間ではなく、自分の思いが支配している時間です。
では、どうすればいいのでしょうか。
シンプルです。そんなときは、浮かんできたことをメモ帳などにメモし、それを一旦忘れ、礼拝に戻ります。そして、礼拝が終わった後、そのメモを見て計画を立てるといいでしょう。
こうするなら、主が一日を導いてくださると信じます。みことばを心に蓄え、積極的に静まる時間を持っていきましょう。
■P:祈り
愛する天のお父さん、きょうのみことばをありがとうございます。私は確かに今、ここにいますが、私の考えは過去に行ったり未来に行ったりしています。今に集中できない部分があることを認めます。
どうか今一度、十字架によってすべての罪は赦されたこと、そして将来は主が保証してくださっていることを信じることができるよう助けてください。
みことばを通して私たちが静まる礼拝へと導かれ、今、この瞬間注がれている主の恵みに気がつくことができるよう、助けてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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