■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録3章18節

★わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

■O:今日のコラム
神の国は、この地上での考え方とは真逆で理解しにくいことが多くあります。たとえば、「心の貧しい者は幸いである」や、弱い者、立場の低い者が身分が高くなること、「後の者が先になる」という法則などなど…。

ラオデキアは豊かな都市で、自分たちに満足していました。イエス様に頼らなくても生きていける、その状態をイエス様は「なまぬるい、どちらかであったらいいのに」と言い、さらに「口から吐き出してしまいたい」とさえ言いました。(黙示録3:15-16参照)

イエス様を必要としなくて良い富んでいる状態でいると、豊かさがよりどころになってしまいます。その結果、イエス様を熱心に求めることとか、純粋にイエス様ご自身に満足するということがなくなってしまいます。神と富に同時に仕えることはできないからです。(マタイ6:24、ルカ16:13参照)

ラオデキアに対するイエス様の忠告を詳訳聖書で見ると、「豊かな者となるために」と書かれているところは「真に富んだものとなるために」と書かれています。ここから、神様の言う「真に富んだ状態」と、ラオデキアの教会と、私たちが一般的に考える「富んだ状態」が違うことがわかります。

聖書の言う豊かさとは、物質的に富んでいることではなく、イエス様を熱く求められること、イエス様で心満たされていることではないでしょうか?

今の時代の教会、私自身は、ラオデキアのような状態であると言えるかもしれません。物や食、情報、娯楽…豊かな中で生活しているので知らず知らずのうちにイエス様を頼らなくても、熱心に求めなくても、なんとなくな信仰生活で生きていけてしまいます。特に、自分の必要が満たされた時とかはそうなりやすいですね。

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」(ピリピ4:11-12)

パウロが、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていると言っています。その秘訣は、イエス様自身に満足することと、イエス様自身が解決であることです。

今一度、自分が何に保証を置いていて、何を満たしとしているのか?改めて考えないといけないなと思います。イエス様で満足すること、イエス様が私の満たしであることが自分自身の信仰と結びつくのであれば、この世の豊かさや繁栄に心が惹かれて揺らぐことがなくなるのでは?と思います。

■A:考えてみよう
「豊かさ」と「イエス様」のどちらを求めますか?私には、イエス様だけで満足する信仰が必要です。

今一度、何を保証として、何を満たしとしているか考えてみましょう。

■P:祈り

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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