■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙3章10-11節(伝道者の書3章)
★ 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
■O:今日のコラム
ここで使われている「復活」という意味の言葉は、ギリシャ語で『エクサナスタセス』という言葉が使われています。それはここだけしか使われていません。
原語の翻訳に忠実な詳訳聖書で見ると、『この肉体にありながらも、死者の中からの復活に達したい』と訳されていました。
私達は、肉体が死んだ時に、突然、主の栄光に預かるのではなく、生きながら、主の栄光である死者の復活に達することができるのです。できないとしたら、パウロは、ここに記さないでしょう。
私達は、日々自分に死に続けなければなりません。私達にとって毎日が死の連続です。自分に死ぬならば、その領域において新しく主の栄光によみがえります。
毎日の祈りの中では、『あなたのために、この命を捧げます』という心で満たされますが、いざ、自分のプライド、自分の好み、自分のやり方に死ぬべき時が来ると、葛藤があります。
そりゃあそうですよ。死ぬことに抵抗感がない人はいません。でもそんな時小さな声で異言で祈り、また心の中で祈り、主からの励ましを受け取りましょう!
イエス様も自分に死ぬ事に抵抗を感じていました。しかし、祈りによって天からの励ましを受け取って十字架を受け入れました。
自分に死ぬ、といっても自殺はいけません。どこで死ぬべきなのか、何に死ぬべきなのか、またその為の力は聖霊様が、教え、導き、与えてくださいます。聖霊様が毎日の中で小さな死と復活を用意してくださっています。
イエス様が御霊に導かれて荒野に行き、40日間の断食へと導かれたように。そして、小さな死と復活を繰り返していくうちに、必ず大きな死と大きな復活、大きな栄光を表す者となっていけるのです。主に委ねて、コツコツ自分の死と復活を味わいましょう!
■A:考えてみよう
今日、御霊に導かれて死ななければならない、と感じる状況が来たら、主に期待して喜んで従う。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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