■S:今日の聖書の言葉
ユダの手紙12節a
★彼らは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れげもなくともに宴を張りますが、自分だけを養っている者であり、…
■O:今日のコラム
当初、ユダは「救い」について手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、事情が変わり、「信仰のために戦うよう励ます手紙」を書くことになりました。(3節)
その理由は、ある人々によって「異端の教え」がひそかに教会に忍び込んで来たためです。彼らは「神の恵みを放縦に変えて、イエスキリストを否定する人たち」であると、ユダは言っています。
「放縦」とは、思うままにふるまうことであり、まさに自己中心的な生き方です。終わりの時、そのような者たちが現れると、後の節に書かれています。
「愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあなたがたにこう言いました。『終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。』この人たちは、御霊を待たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。」(ユダ17-19節)
ですから、私たちはたえず目を覚まし、偽りの教えに惑わされていないだろうか、人の耳に心地の良い言葉、自分にとって都合の良い言葉ばかりを聞いていないだろうか…と自分の心を点検する必要があります。
私たちは自分の成功、自分の満たしのために召されたのではなく、キリストの苦難をともに背負うために召されました。
信じ続けたら良いことがある。成功する。結婚できる。お金持ちになれる、何もかもが上手くいく。…このように、現代の教会は繁栄の神学を強調します。ですが、主が教えておられるのは、「自分を捨て、十字架を背負うこと」です。
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。…人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」(ルカ9:23,25)
主は、今日のキリスト教会を見て、何を思うでしょうか。
使徒の働きにおいて、人々は、自分のものを自分のものと言わず、持ち物を分け合って、助け合って生きていました。
「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、」(使徒2:46)
このように聖徒たちがともに集まって主を中心にした食事と交わりを「愛餐」と言いますが、今の時代は教会で兄弟姉妹と食事するのも難しい中にあります。また、愛が冷めゆく時代です。教会の中の愛の交わりはどんどん薄れていきます。また偽りの教えにより、人々は主を恐れず自己中心になり、自分さえ良ければいいという価値観の中で生きています。
主はそのような今日の私たちを見て、何を思うでしょうか。
「愛餐のしみ」と言われたくありません。「非常に良い!」と主から言っていただきたいです。自分の生活さえ満たされていればそれでいいという間違った考えを捨て、初代教会にあった愛の交わりが回復することを心から願います。
「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)
「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133:1)
■A:考えてみよう
聖霊様を歓迎し、自分の中に偽りの教え、間違った価値観がないかを示していただきましょう。
また、愛が冷めゆく時代に、「神を愛し、隣人を愛する。」という原点に立ち返ることができますように。初代教会にあった愛の交わりが回復していくように祈り求めましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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