■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書20章29節
★イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
■O:今日のコラム
今日の聖書箇所は、「疑い深いトマス」といった題名で語られることの多い箇所です。
「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」(ヨハネ20:29)
この箇所を読むときに、「ああトマスは信じなかったなあ。頑固な人だ。」と思いながら読んでいました。しかし、よく考えてみると、他の弟子たちも全員復活したイエス様に出会うまで、そのことを信じていませんでした。
「それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た』と言った。しかし、トマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言った。」(ヨハネ20:25)
トマスの言葉はいささか極端な表現に聞こえます。しかし、自分以外の弟子たちがイエスに出会ったのに、自分だけがイエスに会えなかったという状況を考えると、当然の反応であると思います。
20節を見ると、イエスはその手とわき腹を彼らに示されています。その話を弟子たちから聞き、自分も同じようにイエスに会わないと信じないとトマスが言ったことは、とても納得のいく表現です。
そしてイエス様は、トマスにも出会われました。
そう考えると、冒頭のイエス様の言葉はトマス一人に対する言葉ではなく、弟子たちに対する言葉であるものであることがわかります。弟子たちは全員「見て信じた者」だからです。
弟子たちは比べ合う者たちでした。きっとトマスの中でも、私が他の弟子たちに比べて何か劣っているのかという思いがあったと思います。しかしイエス様は見ずに信じる者、すなわちのちに起こされるキリストを信じる人々を幸いであると言いました。
私たちは自分に任されている召しを全うすることが必要です。それはヨハネの福音書の最後に語られているメッセージでもあると思います。自分を誰かと比べて評価するのではなく、主が任せてくださったことに忠実な私たちでありますように。
■A:考えてみよう
主は、私に何をして欲しいと願われているのか。
それが他人に比べてつまらない役割だとしても、従うことができるだろうか。
■P:祈り
愛するイエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
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