■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書12章3節

★マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。

■O:今日のコラム
多くの場合私たちは人に対するミニストリー(働き)に多くの時間と力を注ぎます。しかし、その時多くの労力を費やす代わりに少しの実しか見ることが出来ない場合があります。逆に主へのミニストリー(祈りや御言葉に時間を費やすこと)は人の目には重要なものではないと思われる時があります。しかし、私たちが主へのミニストリーに時間と労力を費やすなら、人に対する働きは少しの労力で多くの実を結ぶようになるのです。

マリヤはイエス様に対する働きを選び取った代表的な信仰者です。そのことで彼女は人から理解されないことや非難を受けることを幾度も経験します。しかし、イエス様はその度、マリヤの選択を褒め、励まし、祝福されました。彼女の選択は人の目には愚かに見えても、イエス様の目には最も大切なことだったのです。

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)

主に対するミニストリーは主の声を聞くことから始まります。第一の戒めで主は「聞きなさい。イスラエル。」と言われていますが、主の声を聞くことが、主の心をおこなう上で絶対的に必要な条件なのです。祈りと御言葉の朗読は、日々の生活の中で主の声を聞く訓練となります。マリヤはイエス様の御そばで御声を聞き入っていたので、イエス様の心と一つとなり、十字架の意味を悟り、油を塗ってその備えをしたのでした。

マリヤが塗った油は「非常に高価な、純粋なナルドの香油」であったと記されています。これはイスラエルの女性が人生をかけて備える結婚の為の花嫁料だったのです。それを壺ごと割り、余すことなくイエス様に捧げたのでした。このことからもマリヤにとってイエス様が自分の願い求めの全てであり、イエス様に自分の人生を捧げ尽くしていたことがわかります。

香油を「イエスの足に塗り」という言葉は別訳では「油注ぎ」と記されています。驚くことにマリヤはこの世で最も油注がれた方、イエス様に油注ぎをしたのでした。何という傲慢、何という高ぶり。と思われるような行為ですが、イエス様はマリヤが注いだ油を喜んで受け取られました。

私たちは人生の中でいつも主に「この私の働きの為に主よ。早く働いてください。」と願い、「私の願いをかなえ、必要を満たし、祝福の為に油注ぎを与えてください。」と願うものですが、誰が「主よ。あなたの心をおこなう為に私を使ってください。」、「私の人生を主の御前に余すことなく注ぎ出します。イエス様こそが私の願い求めです。」と祈るでしょうか。

「だれもみな自分自身のこと(利益)を求めるだけで、キリスト・イエスのこと(益)を求めていません。」(ピリピ2:21)

この世では取るに足らず、無駄で、愚かなように思われても、マリヤのように真っ直ぐで、愚直にイエス様を追い求める心を共に受け取ろうではありませんか。

■A:考えてみよう
イエス様だけを真っ直ぐに見つめることができる鳩のような目が与えられることを祈り求めましょう。聖霊様は鳩の姿を持ってイエス様に臨まれました。このお方は真っ直ぐにイエス様を愛する心を私たちに与えて下さいます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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