■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書11章4節

★イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」

■O:今日のコラム
あらゆる出来事に「きっかけ」というものがあります。
例えば、ギネス認定されるようなドミノを見たことがあるでしょうか?たった一つのドミノを指で押すと、それをきっかけに数えきれないほどのドミノが倒れていきます。
壊れていた関係が「ごめんね、ありがとう」という一言で回復していくこともあります。

今日のみことばはベタニヤのマルタとマリヤの弟、ラザロを中心とした話です。ラザロの復活の奇跡がきっかけで、この後大きな展開が待ち受けています。

ラザロとは、ヘブライ語で「エルアザル」という名前が短縮されたものです。意味は「エル(神は)アザル(助けた)」という意味になります。まさにイエス様がラザロになされた愛と憐れみと恵みをあらわした名前です。ラザロがどのような性格かは、みことばから読み取ることはできませんが、イエス様に愛されていたことは間違いありません。(5節)

イエス様が最初ラザロの事を聞いた時、ラザロはまだ病の中にありました。しかし、イエス様は私たちの常識では考えられないことを仰せられます。

「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」(6節)

私たちの考えだと、ある人が病気であれば一刻も早く駆け付け、癒しをして欲しいと考えるでしょう。マルタとマリヤも同じだったと思います。しかし、イエス様は愛するラザロが病気であることを知って、なお2日も同じところにとどまられました。

イエス様はこの事の前に起こったユダヤ人の迫害を恐れていたのでしょうか?他に急ぎの用事があったのでしょうか。これはあくでも私の予想ですが、イエス様もできる限り早く愛するラザロの所に駆けつけたかったのではないかと思います。しかし、それは父の御心ではありませんでした。イエス様は完全に父の御心に従われるお方です。

イエス様が二日留まられている間に、ラザロが死んでしまったことをイエス様は御霊で悟られました。そしてラザロの所に行くと、墓に入れられ4日経っていた状態でした。

21節でマルタが「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」と言い、23節でマリヤもまったく同じ事を言いました。
イエス様はマルタには「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(25, 26節)と言われました。一方マリヤには涙をもって応答されました。(35節)

この違いは何でしょうか。
マルタはイエス様に向かって言い、マリヤはイエス様の所に行き、見て、足元にひれ伏しこの言葉を言いました。心の態度と信頼度の違いを見ることができます。

この後、イエス様はラザロに向かって大声で「ラザロよ、出てきなさい」(43節)と叫ばれます。すると死んでいたラザロが復活します。みなさん、この偉大さにお気づきになったでしょうか?

イエス様がおことばを発せられました。それに死さえも逆らうことができず従ったのです。イエス様のおことば通りに奇跡が起きたのです。

復活したラザロは手と足、それから顔を長い布で巻かれた状態でした。しかし、イエス様は「それをほどいてやって、帰らせなさい」と言われました。出エジプト記29章で、大祭司は任命されるときに耳たぶと手と足の親指に血と油を塗られます。同じ部位を覆っていた布をほどかれました。これは私たちにまとわりつくこの世の考え、常識などからの解放を意味しています。

そしていよいよ、この後何が起こるのでしょうか。ラザロの復活がきっかけとなり、最高議会(サンヘドリン)が集められ、イエス様が十字架につけることが決定していきます。

このラザロの奇跡は、十字架に至るイエス様の生涯の最後の奇跡と言われています。ご自分の復活を啓示していたのかもしれませんが、ラザロの死がイエス様の十字架の死と葬りと復活につながっていきます。

それゆえに、イエス様は今日のみことばを預言的に宣言されました。

「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」

■A:考えてみよう
私たちは死ぬために生きているでしょうか?
それとも、生きるために死んでいるでしょうか?
私たちは何のために生きているのでしょうか?

イエス様がお迎えに来られた場合は別として、この世に生を与えられたすべての人は、生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっています。
みことばと祈りを通して、自分の使命を教えていただきましょう。神様がどのような目的をもって、なんのために今いのちを与えてくださっているかを教えていただきましょう。

もし、神様の願っていない生き方をしているのであれば、私たちの心は苦しくなるかもしれません。イエス様の所に行きましょう。そこには世にはない安らぎがあります。

自分の目的を成し遂げるのではなく、神様の目的を成し遂げるために、今日もみことばと祈りの生活を続けていきましょう。みことばを実行することで、自分が栄光を受けるのではなく、イエス様が栄光を受けられる生き方をしていきましょう。

神様は私たちの悩みすらも用いてくださると信じます。その悩みがきっかけとなり、自我を十字架にささげ、そしてイエス様が栄光をお受けになると信じます。

■P:祈り
今日も私を愛してくださる天のお父さん、今日もいのちのみことばを与えてくださり、心から感謝します。ラザロは病気になり、死に至りました。しかし、イエス様の愛の関係の中、よみがえりを経験しました。今日という日に、自我を十字架に打ち付けることができるよう、憐れんでください。
自分の高ぶりを知り、この問題を自分の力ではどうしようもないという絶望に立たされる時、イエス様の本当の恵みを体験できると信じます。あなたのみことばのとおり、今日も歩ませてください。そして、すべての栄光がただイエス様にだけありますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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