■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書6章35節
★イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
■O:今日のコラム
シャバットシャローム!
ヨハネは御国の福音としてイエス様を紹介しています。イエス様が直接語られた四福音書は、いのちと希望に満ちていると同時に、人知では理解できない道理が書かれています。
「わたしがいのちのパンです。」と言われた人たちはどのように思ったことでしょう。
一部の弟子たちは『こんなひどいことを聞いていられるか。』と、もはやイエスと共に歩かなかったと書いてあります。今であるからこそ、私たちはイエス様が語られた真の意味がわかりますが、あの当時に生きているとしたら、少なからず私も群衆の一部と同じ態度をとっていたかなと考えさせられます。
つまり何が言いたいのか?
私たちがイエス様の言葉を悟れるようになったのは、自分たちの力や能力、知力ではなく、知恵と啓示の御霊様を通してであることがわかります。しかしながら、今一度御言葉を見つめる時間が必要です。御言葉をもっと深く悟る時が必要です。
ここでイエス様は、『わたしに来る者は決して飢えることがなく』と言われています。絶対に飢えることがないという意味です。けれども自分の生活を見てみるとどうでしょうか。
「あー、何かものたりないな。楽しくないなー。もっと新しい刺激が欲しいなぁ・・・」なんて思うことがあるのではないでしょうか?本当にイエス様の元に来ているならば絶対に飢えないとあるのに、実際の生活では霊的な飢えの中にいるということもあるのです。
なぜでしょうか?
真にイエス様の元に来ていないからです。イエス様の言葉がいつの間にか、頭で考える、知性で思う、実際に体験することのないものになっているからだと思います。
なんてもったいないんだ!!御言葉に約束されているのに、約束が頭だけの約束になっている。。。。本当にここから脱却したい!それさえも自分の努力や、熱心さではできるものではないことを認めたいです。だからこそ、イエス様の十字架があることに感謝しましょう。イエス様は十字架上で全てを「完了し」今もなお天において「とりなして」くださっているお方です。
自分ではできないので、イエス様が必要である!自分にはできないので、誇るものはイエス様の十字架である! このイエス様を必要とするプロセスが与えられていることを感謝しましょう!
いのちのパンを食べれる恵み。味わえる恵み。いのちの水を飲める恵み。満たされる恵み。今日もみことばなるイエス様に立ち返ります。
■A:考えてみよう
日常の中で飢えて乾いていないだろうか?
御言葉がどこにたくわえられているだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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