■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書5章38〜40節
★また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
■O:今日のコラム
聖書を通して私たちは正しい生き方や健全な考え方、良い人間関係や道徳や宗教倫理など・・・様々な大切な学びを得ることが出来ます。また祝福されたビジネスの秘訣やリーダーシップや金銭管理、科学や自然の摂理、心理学やカウンセリングや自己管理、繁栄した人生の原理や原則など・・・あらゆる領域に聖書は知恵を与えます。
しかし、これらのどれも聖書が記された本来の目的ではありません。私たちが聖書の御言葉を自分の利益となる為だけに用いるなら、御言葉の表面的な部分だけを見るようになりその中心的なメッセージに辿り着くことが出来なくなります。
ヨハネはかつてパトモス島で天の幻を見たときに、そこに巻物を見ました。その巻物には外側にも内側にも文字が書き記されていましたが、内側の文字は封印されていた為に見ることが出来ない状態にありました。その時、ヨハネは激しく泣いたのでした。
このヨハネの涙を私たちも自分の涙とする必要があります。「御言葉を読み、学んでいるけどその内側に記されている奥義と御父の心を悟ることが出来ない。主の心を教えて下さい。」と涙を流して祈る時、御霊なる主は御言葉を開き主が伝えたいメッセージを啓示して下さいます。
ヨハネの涙に対して天の長老は言いました。
「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」(黙示録5:5)
聖書の御言葉はイエス様を通して解かれて行きます。また御言葉が伝える中心的なメッセージもイエス様ご自身なのです。イエス様はユダヤ人たちに「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」と言いました。
聖書の目的はイエス様を知り、イエス様の元へと近づき、イエス様と人格的な交わりを持つことです。もし、自分が立派な人になる為だけに聖書を学んでいるのならそれは「あなたが神のようになる」と言われる善悪の木の実から派生した読み方をしているのです。命の木は「イエス様が命である。十字架が救いである。イエス様こそが奥義である。イエス様の元に行きなさい。」と叫び続けています。
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27b)
「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)
トーラー(モーセ五書)も詩篇も預言書もすべてはイエス様について語っています。イエス様はユダヤ人たちに続けてこう言われました。
「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。」(ヨハネの福音書5:46)
聖書の御言葉からイエス様ご自身と出会い、主の御言葉の啓示を深く味わい悟ることが出来ますように、その為にもパウロが切なる願いとして日々教会の為に祈り続けた祈りを私たちの告白として祈り続けましょう。
■A:考えてみよう
以下の御言葉を朗読して祈りましょう。
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように(と常に祈っている。)。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか(を理解するように常に祈っている。)、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように(と祈るのです)。」(エペソ1:17〜19 ( )内は詳訳聖書による)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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