■S:今日の聖書の言葉
黙示録7章17節b

★また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。

■O:今日のコラム
今から30年以上前のこと。当時20代前半だった私は教会では小学生(大半が教会員子弟)の世話役でした。あるとき、韓国から女性の牧師先生がゲストで来られて、子どもたちのためにメッセージをして下さいました。話の前後は忘れましたが、韓国では学級の中で「クリスチャンだというので虐められることがある」とのことでした。「へぇ、、、キリスト教国と言われる韓国でも、クリスチャンが虐められるんだ、、、」と内心驚きました。

日本の場合はクリスチャンがあまりにも少ないので、教会員の子どもたちは「教会に行っても同年代がいなくて寂しい」とか、「日曜日に友達と遊べないのが辛い」とか、そういう葛藤はあっても、「クリスチャンだから虐められる」という話しはあまり聞かないな、と思いました。恐らくその先生は、日本のクリスチャンの子どもたちを励ます意味で、韓国の事情をお話しになったのでしょう。

ところが、その先生が続けて言われた言葉に、私はさらに驚きました。

「クリスチャンだから、という理由でクラスの中で虐められていることを耳にするとき、親である私たちの胸は痛みます。主も、どれほど心を痛めておられることでしょうね、、、」と言われたのです。

「えっ、主も心を痛めておられる、、、?」当時の私は、その言葉にひどく驚いたことを覚えています。

「全能の神なのだから、クリスチャンを虐める奴らに、天から審きを下すのではないのか?」「神が心を痛めるなんてこと、あるのか?」などと、つまらないことを思いましたが、今は、その先生の言葉が良くわかります。

その根拠のひとつが今朝の御言葉です。

「また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」(黙示録7:17b)

神が私たちの目から涙をぬぐって下さる、とはどういうことでしょうか? それはすなわち、私たちがこの地上で経験する苦しみ、痛み、悩み、悲しみ、、、その涙の経験ひとつひとつを、主はひとつとして見逃さず、すべて心に留めておられる、ということです。そして、やがて天にて、主とお会いする日、主は、私たちの目から涙をひとつひとつをぬぐって、慰め、癒して下さる、ということです。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)

やがて天にて、主にまみえる日、私たちが受けた苦しみ、悲しみ、嘆き、涙はすべてぬぐわれて、悲しみは笑いに、苦しみは喜びに、嘆きは踊りに変えられるのです。この希望を今日も握って、どんな困難にも屈することなく、主に従って参りましょう。

■A:考えてみよう
今、悲嘆に暮れている方がおられるでしょうか?主は、あなたの悲しみを知っておられます。そのことを思って勇気を出しましょう。

天の報いを望み見て、主を仰いで、忍耐し続けようではありませんか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしかず 】

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