■S:今日の聖書の言葉
士師記11章3節
★そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。すると、エフタのところに、ごろつきが集まって来て、彼といっしょに出歩いた。
■O:今日のコラム
エフタは遊女の母から生まれ、その出生ゆえに兄弟たちから意地悪くされ、追い出されました。その後追い出した人々の立場が悪くなり、戻って来てくださいと言われるという、なんだか身勝手な話が今日の章の始まりです。
エフタは自分がいた場所からトブの地という別の場所へ身を避けました。
逃げることは時に必要だと思います。この場所に居続けたら自分の魂が、肉体が壊れてしまうと感じるなら、そうなる前に、置かれている場所や環境から離れることは必要です。ですが責任が伴ってくるにつれて、すぐに環境を変えたり、身を離すことは難しくなると思います。日本には逃げることを良しとせず、忍耐することを美徳とする文化があります。
しかし、神様のところへ逃げることは、恥ではなく、むしろ最善の選択です。また、実際の環境を移したり、変えることよりも取り掛かりやすいことです。
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)
「しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。」(詩篇59:16)
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。セラ」(詩篇62:8)
生きているとやるせないことはたくさん起こります。頭では理解できないようなこともたくさん起こります。解決が見いだせないことや、目の前が塞がれてしまうような時もたくさんあります。神様の前に逃げて一体何になるのか?と思う時さえあります。しかし、詩篇に書いてあるように、神様は「私の避け所」「私の逃げ場」です。
神様のところが1番良い逃げ場であり、最も安全な場所です。
「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)
神様のところ、奥まった所に逃げて、ひれ伏して、泣いて、嘆いて、葛藤して、静まって、聖書を読んで、賛美して…
瞬間的に問題を乗り越えることはないかもしれません。ですが、天の父は隠れたところで見てくださっています。(マタイ6章前半)
「今日」という日や「今」という時を抜け出す力は、神様の前に逃げた者、神様の前に出た者、神様ご自身を逃げ場、避け所とした者だけに与えられる慰め・励まし・報いなのではないでしょうか?
なので私は今日も神様の前に逃げ、神様を避け所としたいと願います。
■A:考えてみよう
神様の前に逃げるとは、実際的には困難、葛藤の中にあったとしても、神様の前にひざまずくこと、ひれ伏すこと、心の内を正直に告白すること、祈ること、御言葉を朗読すること…
個々の歩みの中において、神様ご自身を避け所、逃げ場とすることができますように。その時、その時に必要な力が豊かに注がれますように。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
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