■S:今日の聖書の言葉
士師記7章20-21節
★三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫び、
それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。
■O:今日のコラム
どんな小さな戦いであっても、人は戦いに勝ちたいという願いがあるのではないかと思います。
古今東西、人は戦いを繰り返してきました。その中で編纂された戦術書などもたくさんあります。現代においては、これがマーケティングというものになり、企業間の戦いに応用されるようになりました。
私たちが学ぶべき戦術は何でしょうか。それは聖書に書かれてある戦いの方法です。
今日の通読箇所ではギデオンが出てきます。ミデヤン人との戦いに際し、主は臆病な性質を持っていたギデオンを励まします。そして、人の方法ではない、神の方法で戦うことを教えられます。
普通に考えると、敵に対して勝つ方法は単純に兵の多さです。しかし、主は2節でギデオンにこのように言われます。
「そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」
ここから恐れおののく者2万2千人が帰り、水の飲み方を見てついには300人にまで兵を減らされます。人の方法ではなく、主の方法によって勝利するためです。また、上のみことばの通り、「自分の手で自分を救った」と誇らないためです。
ここで、一人の者が夢を見たといいます。(13節)
「ギデオンがそこに行ってみると、ひとりの者が仲間に夢の話をしていた。ひとりが言うには、『私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまで入り、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった。』」
パンとは聖書全体で何を意味しているのでしょうか。みことばであり、イエス・キリストです。イエス様はパンの家という地名、ベツレヘムでお生まれになりました。ヨハネの福音書6:35でイエス様は、「わたしはいのちのパンである」とご自分を紹介されています。このことに対し、続く14節で何と書かれているでしょうか。
「すると、その仲間は答えて言った。『それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣にほかならない。神が彼の手にミデヤンと、陣営全部を渡されたのだ。』」
仲間はパンが剣だと言いました。黙示録2:16にはこのように書かれています。
「だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。」
イエス様の口から出るもの、すなわち主のみことばです。このみことばが敵の陣営に転がり込むとき、人の考えの及ばない方法で主の勝利があらわされていきます。
■A:考えてみよう
士師記7章を見て、主の戦いの方法を学んでみましょう。
幻を聞いたギデオンは、どのように反応しましたか?
何と何を手にもって彼らはミデヤンとの戦いをしましたか?
それは何を意味していますか?
また、この章全体を通して、最も大切な教えはなんでしょうか。ぜひ、ご自分の聖書を開き、知恵と啓示の御霊により頼み、考えてみてください。
また、ギデオンの戦いはいつ起こったでしょうか。朝ですか?昼ですか?夕方ですか?
マタイ25章に書かれている10人の乙女の話はいつ起こったでしょうか。このことと士師記7章との関連は何かあるでしょうか。
創世記の初めで、主は暗闇に「光があれ」と宣言されました。暗闇の地は茫漠(混沌・カオス)としていました。つまり、秩序がないということです。そこに光が差し込むのです。
「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」(詩篇119:130)
今まで自分勝手に考え、生きてきた私たちに光(みことば)が差し込む時、はじめて周りの景色がはっきりと見え、正しい道が見えてきます。私たちの考えではなく、主を恐れ、主の権威を認め、主に従い続ける生き方が勝利の秘訣です。
また、ギデオンと300人の戦士は「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫びながら戦いました。このことからも重要なことが学べます。私たちはみことばを信じ、このみことばを告白し続ける必要があります。
もし、私たちがこのような戦いをしなかったらどうなるでしょうか。
「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。」(士師記7:22)
陣営の全面にわたって、同士討ちが起こります。光(秩序)がないからです。誰が敵か味方かわからないからです。
全世界を見てみましょう。私たち自身を見てみましょう。「クリスチャンだ」と言いながら、依然として争いがあるのではないでしょうか。これはまるで同士討ちのようなものです。知らないうちに、党派心、分裂、分派などができてしまっているのではないでしょうか。
恥ずかしいことですが、私もいまだにそのような性質を持つ者です。ですから今日も十字架が必要です。主の憐れみにより頼む生き方が必要です。自分の考えから、十字架を見上げ、主に完全に信頼する生き方が必要です。
私たちが戦うなら、勝率は0%でしょう。しかし、主の方法で戦うなら、勝率は100%です。なぜなら、イエス様はすでに十字架の上で勝利を取られたからです。
■P:祈り
愛する天の父よ、私を憐れんでください。今日も知恵と啓示の御霊を注ぎ、みことばを悟る力を与えてください。そして、あなたの心を知り、その通りに生きていくことができますように。
主よ、あなたの十字架の御前に進みゆき、神の慈愛の中悔い改めます。私の内に光が届いていない領域があることを認めます。この領域を主に明け渡すことができるよう、助けてください。
わきまえの無い私に悟りを与えてください。
そして戦うべき相手を明確に示してください。1ペテロ5:8にあるように、敵である悪魔がほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを探しながら、歩き回っています。主ご自身が火の城壁となって、この敵から守ってください。
そして、私たちが敵だと勘違いしている隣人を、イエス様の愛をもって愛することができるよう、助けてください。
イエス・キリスト。このお名前こそが私たちの勝利です。
全ての名に勝るお名前である、イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。