■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第一3章20〜21節
★たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、
■O:今日のコラム
罪責感は悪魔が私たちを主との親密な関係から引き離す為に用いる強力な武器となります。自分自身に対して責める心を持つ時、祈りの生活から喜びは失われ、聖書朗読は重荷に感じ、礼拝に加わることに苦痛を感じるようになります。
この責めの思いから解放される為に、私たちは一切の主に関わることから距離を置くようになり、放蕩息子の様に父から遠く離れた所に行くか、またはもっと熱心になって様々な活動に取り組み、まるで負債の返済をするかのように、自分の努力と行いによって罪の不足分を支払おうとするようになります。この二つの選択がどちらも両極端であり、この方法では主イエスにある救いの喜びと真の自由を味わうことが出来ません。
ビジネスやあらゆる領域で成功し活躍する人々に意識調査をしたところ、その調査をしたグループの中で幸福感を感じる人はほんの数パーセントしか存在しておらず、成功や名声や物の所有が人に幸福感をもたらすのではないということが分かりました。驚くことにその幸福感を感じると答えた数パーセントの人々にはただ一つ共通した理由がありそれは「自分を責める思いから自由にされている」ということでした。
聖書は罪が赦され、罪責感から自由にされた人の幸いをこう述べています。
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。」(詩篇32:1〜2)
ヨハネの手紙には私たちが自分を責める思いから自由にされる為に重要な啓示が記されています。そこには「神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」とあります。詳訳聖書には「神は私たちの心よりも偉大で上にある方であり、隠れたこともすべてを知り、理解しておられるからです。」と記されています。
指名手配され警察から追われる犯人は、どこに逃げても恐れがあり、夜も安心して眠れないそうです。しかし、逮捕され犯行を全て述べた時、今まで得られなかった安堵感を得てぐっすりと眠れるようになるそうです。主は私たちの隠れた罪も、重荷も全てを知り、理解しておられます。このお方の前には何も隠すことが出来ません。主の御前に私たちの弱さも罪も全てを告白して、心の痛みや葛藤を申し上げる時、私たちの内をキリスト・イエスにある平安が満たし、支配するようになります。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい(具体的に神におしらせすることを続けなさい)。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって(守備隊のように)守ってくれます。」( )は詳訳聖書による。(ピリピ4:6〜7)
主に罪を告白する時、御霊なる主は私たちを主イエスの十字架の元へと導かれ、主イエスの血は全ての罪から私たちを解放し、聖めます。その時、私たちは全ての責めの思いから解放され、大胆に確信を持って神に近くことが出来るのです。
ダビデは悔い改める中で「ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。」(詩篇51:5)と言いました。リビングバイブル訳には「神を喜ばせるのは徹底した正直さだけです。」と訳されています。今日主の御前に自分の罪も痛みも、弱さも葛藤も、恐れも心配も正直に告白し、主イエスの十字架を通して贖いの恵みに与り、また闇を照らす真理の御言葉の光を受けて、全ての責めの鎖から解放を受け取りましょう。
■A:考えてみよう
主の御前に心を開いて正直な告白を持って祈る時を持ちましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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しんご様
主の御名を賛美します。
神の前に悔い改めると、罪の重荷を下ろすことが出来ます。しかし、それを何度も繰り返すと、ついには聖霊の火が消えてなくなり、神から退けられたエサウのように、霊的暗黒に追いやられます。
そんなとき、神に泣いて悔い改めると、弱さの内に完全に働かれる神の力によって、何度も霊的な暗闇から引き上げられました。
霊的幼児期にいる私のいつもの信仰生活のパターンです。このように、惨めな霊的幼児期から抜け出すのは、本当に困難を覚えています。先日も、同じような状態に陥りました。
しかし、マナメールに励まされ、イエスキリストの血潮を宣言する祈りと、みことばの朗読と、異言の祈りに取り組んで、なんとか霊的幼児期を脱したいと願っています。
サタンはきっと「お前にはできっこない!」と嘲笑しているようです。
でも、今度こそイエス様の似姿に変えられたいと願っています。
覚えてお祈りいただけたら幸いです。
本日のメッセージを感謝します。