■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙 第一 3章8-9節

★最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

■O:今日のコラム
私たちは何のために生きているのでしょうか。今生かされている本当の意味は何でしょうか。

少し哲学的な問いになってしまいましたが、みことばの中からこの問いに対する回答を与えていただくことは、確信をもって主と共に歩む道を確かなものとします。

今日のみことばでは私たちの召された目的は「祝福を受け継ぐため」だと書かれています。私たちは全地を創造された神からの祝福を、神の子として受け継ぐことができるのです。これは驚くべきことです。

また、今日のみことばは、1ペテロ2:12にある「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。」ということのまとめになります。

誰もが祝福を受け継ぎたいと願うかもしれませんが、それぞれに主からのチャレンジがあります。1~6節が妻に対して、7節が夫に対して、そして8節以降がすべての人に対して。さらに13節以降はそれらを受け、迫害に対しての心構えが書かれています。ぜひ、ご自身で聖書を開いて読んでみてください。

今日は8節を中心に見たいと思います。ここは5つの部分に分けることができます。

・心をひとつにし
・同情し合い
・兄弟愛を示し
・あわれみ深く
・謙遜でありなさい

この部分はメノラーのようにキアズムのような構造になっています。また、「兄弟愛」を頂点にし、あとの4つが山の形のように支えていると見ることもできます。皆さんご存じの通り、新約時代の最高の律法は隣人を愛することです(ヤコブ2:8)。そのためにまず必要なことは「心をひとつにすること」そして「謙遜であること」です。

心をひとつにするとは、キリストを主として仰ぎ見、また仕えることにおいて霊的に一致を保つことです。夫婦関係においても、隣人との関係においても、お互いの顔を見るなら争いが生じるかもしれませんが、共に同じ方向、十字架を見つめて歩むならそこには一致があります。そのためにも日々みことばを朗読し、キリストを見続けましょう。

謙遜であるとは、シンプルにへりくだることです。しかし、これがわかっていてもできないことです。だから祈りが必要です。人に対して、また、神様に対してへりくだることができなかった自分を発見したなら、その時「主よ、私をへりくだらせてください」と祈りましょう。人の力ではできませんが、内に住んでくださっている御霊の助けで、このことが実行できます。

これらの土台の上に「同情しあうこと」「憐れみ深くあること」があります。

同情しあうとは、相手と同じ目線に立つということです。泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ者とされることです(ローマ12:15)。そのためには相手に対する色眼鏡を外し、「何を言わんとしているのだろうか」と相手を思いやり、受け入れる姿勢が大切です。

憐れみ深くあるとは、優しい心で相手に接することです。イエス様が人々を癒された動機はいつも憐れみの心でした。また、主はあわれみは好まれますが、いけにえは好まれません(マタイ9:13)。憐れみ深くあるとは、キリストと同じ心を持つということでもあります。

以上、これら4つが向かう先が「兄弟を愛する」ということです。聖書はなんと具体的に最高の律法を守る方法を私たちに教えてくださっているのでしょうか!

詩篇133:1には何と書かれているでしょうか。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」

これこそエデンです。一人ひとり違うように造られ、肉の力によっては決して分かり合うことのできない人が、共に十字架を見上げることで家族のようにひとつとなることができる。これほどの幸いなことが他にあるでしょうか。

■A:考えてみよう
隣人を愛せていますか?または、愛することができるように祈り求めていますか?

天国に行かずとも、私たちは御国を味わうことができます。御霊と水と血の証によって一つとされた兄弟には下記のような特徴が見えます。

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」(黙示録12:11)

つまり、十字架の道を歩むということです。自我に死に、キリストのみことばに従う生き方です。

多くの人の愛が冷たくなってしまう現代において、隣人を愛する私たちの姿を見て、すべての人が「ああ、あなたは確かにキリストの弟子ですね!」と認められるように変えられていきたいと願います。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネの福音書13:34-35)

■P:祈り
今日も私たちを愛してくださる天のお父さん、今日もいのちが与えられていることを感謝します。今日のみことばから、「私たちは祝福を受け継ぐために召されている」ということを教えてくださり、感謝します。
どうかこの祝福にあずかるために、心をひとつにし、いつも謙遜でいることができるように助けてください。また、互いに同情しあい、あわれみ深くあれる人格を与えてください。そして、最高の律法である兄弟を心から愛することができるように導いて下さい。
教会生活や学校、職場などで人間関係に苦みが生じたなら、その時こそ十字架の恵みの道を歩んでいるのだということを教えてください。鉄が鉄で研がれるように、友によって私を研いでください。
また、人々からどのようなことをされたとしても、祝福を与え続けることができる人へと建て上げてください。
今日学んだことを頭で理解するだけではなく、行動をもって示し、証人となることができるよう、助け導いてください。私は必ず、愛の人となれることを強く信じます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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一つのコメント


  1. しゅんいち より:

    しゅん様
     主の御名を賛美します。
     隣人を愛することは、「それでもクリスチャン?」となるか、「さすがはクリスチャン!」となるか、「伝道がむなしでに終わる」か、「豊かな収穫をもたらす」か、という世の人の評価を二分する大切なポイントだと思います。
     罪からの解放を願って悪戦苦闘している私がいうのも変ですが、聖霊に満たされるなら可能だと思います。人間は神の前に罪人であり、どんなに努力してもイエス様のようにはなれませんが、聖霊に満たされるならイエス様の似姿になれると信じるからです。
     わたしはそのように変えられたクリスチャンに若い頃に出会い、そのようになりたいとイエス様を切に求めましたが、神様から遠ざけられ、放蕩息子のようになり、愚かな娘として裁かれた罪人にすぎません。
     しかし、そんな私に救いの手を差し伸べて、新宿シャローム教会との出会いを通じて、再生と復活の道を開いてくださったイエス様に感謝しています。
     本日のメッセージを感謝します。
     

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