■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第一2章1-2節
★ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
■O:今日のコラム
普段、生活する中で、自分がどれだけゴミを出しているか、考えたことはありますか?
3日間ゴミを出さずに生活するというチャレンジをする動画を見たことがあります。すごいチャレンジですね。結果は、最小限に抑えられたけども、うまくゴミを減らすのは難しかった、という結果で終わりました。
生きていればゴミが出るものです。ゴミが出るのは生きている証拠です。大切なことは、すぐに捨てることです。もしも捨てないで放っておいたらどうなるでしょう。家から悪臭が放たれ、周りに害を与えます。ゴミはすぐに捨てるべきであり、毎日取り組むべきことです。
このように、私たちがゴミやガラクタ(悪意、ごまかし、偽善、ねたみなど)を持ち続けているのならば、私たちは悪臭を放って、周囲に迷惑をかけてしまうこととなります。今日、私たちが大切に持ち続けているいっさいの不用品、ガラクタを捨て去りましょう!
多くの人はものに囲まれて生活しているので、「本当に必要なもの」が見えなくなってしまっています。それはまるで、いくらみことばの種が蒔かれていても、雑草に塞がれてしまっている、私たちの心を反映しているかのようです。
部屋を片付けていると、こんな良いものがあったのか!と隠れていたお宝を見つけることがあります。ガラクタを捨てることで、本当に必要なもの、大切なものを見出すようになるのです。
こだわり、プライド、自分の正しさ、自分の義を捨てるなら、何が起こるでしょう。私たちのうちに蒔かれたみことばは芽を出し、成長し、やがて実を結ばせるようになります。
捨てること、手放すことは救いに至る重要なプロセスとなります。私たちは手放すことで、よりいっそう純粋なみことばの乳を慕い求めるようなるからです。
今日の箇所において、ペテロは「主に従うがゆえに手放すこと」を勧めています。今まで頼りとしていたものを捨てることは、キリストに従う道です。この世のものに頼らず、主だけに信頼し、主だけを求める、みことばの乳を求める歩みが回復していきますように。
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(ルカ9:23)
■A:考えてみよう
たとえ小さなものであったとしても、固執されたりとらわれていることはないだろうか?
聖霊様に探っていただき、今日、思い切って手放していきましょう!
■P:祈り
愛する天の神様
私たちはあまりにも多くのものに囲まれて生活しています。どうか、物に固執することなく、手放すべきものを手放すことができるように助けてください。
物を頼りとすることなく、主だけに信頼を置くことができますように。はじめの愛、第一の愛に立ち返ることができますように。
何があってもなくても、イエス様がいてくださるなら、私は幸いです。主がおられなければ、いくら生活が満たされていても本当の喜びはそこにはありません。
私たちが持つべきものは、花婿なるイエス様を慕い求める花嫁の心です。この世の欲、いっさいの悪を捨て去り、今日、私たちのうちで花婿なるイエス様を慕い求める花嫁の心が回復しますように。
愛する主イエスキリストのお名前によってお祈りいたします。
【 ひさえ 】
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ひさえ様
主の御名を賛美します。
私にとって最大のゴミは、霊・肉・たましいに油のように染みついた罪・しみ・咎です。
イエス様の血潮を宣言し、みことばを朗読し、異言で祈り、毎日、ゴミ出しに励むしかないと観念しています。
ゴミ出しの成果が半年後に現れることを願っています。
本日のメッセージを感謝します。